旅行・地域

2009年7月 5日 (日)

京都・一休寺を訪ねて⑤一休禅師像

2009_0523ikyuuji0009 一休禅師が晩年を過ごしたゆかりのお寺として、数体の禅師の像や絵が有ります。
本堂のそばには、写真のように少年一休師の像が建てられています。
また方丈には中央に禅師が命じた等身大の木像、肖像画(いずれも重要文化財)が安置されています。

2009年7月 4日 (土)

京都・一休寺を訪ねて④方丈庭園(2)北庭

2009_0523ikyuuji0003 前回の南庭に比べ、枯滝落水の様子を表現した蓬莱庭園になっています。
大小の石と木々の緑が見事な調和し、禅寺院にふさわしい雰囲気をかもし出しています。

2009年7月 2日 (木)

京都・一休寺を訪ねて③方丈庭園(1)南庭

2009_0523ikyuuji0007 方丈の周囲は見事な庭園が広がっています。
作者は松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山の三人が合作といわれます。
北・東・南の三面の庭からなる江戸時代初期の禅院、枯山水庭園です。
南庭はご覧のように、サツキの刈り込みと白砂の庭になっています。

2009年6月29日 (月)

京都・一休寺を訪ねて②本堂

2009_0523ikyuuji0008 本堂は重要文化財に指定されています。
永亨年間(1429~40年)、足利六代将軍 義教の帰依により建立されたもので、入母屋造り桧皮葺で、内部には釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩を祀り、山城・大和の唐様仏殿としては一番古い遺構の建造物です。

2009年6月27日 (土)

京都・一休寺を訪ねて①総門

2009_0523ikyuuji0001 とんちでお馴染みの一休禅師で有名な、一休寺(正しくは酬恩庵一休寺・京都府京田辺市薪里ノ町)は、JR大阪から環状線・京橋から学研都市線で京田辺駅で下車、バス停「一休寺道下車」、西に500mに在ります。
鎌倉時代に臨済宗の高僧 大應国師が中国の虚堂(きどう)和尚に禅を学び、帰国して禅の道場、妙勝寺をここに建てたのが始まりです。
その後、戦火にかかりましたが、室町期になって、一休禅師が堂宇を再興しました。
禅師はここで後半の生涯を送り、大徳寺住職として、ここから通われました。
写真の総門を入ると、重要文化財の本堂・方丈もさることながら、素晴らしい庭園が広がります。

2009年6月16日 (火)

滋賀・幻住庵

2009_0505seta0008 大津を愛した俳諧の巨匠、松尾芭蕉は、1680年に幻住庵に住み「奥の細道」「幻住庵記」を著したといわれています。
その「先ず たのむ椎の木もあり 夏木立」と詠んだ句は有名です。
この庵は昭和の始めに再築されました。

2009年6月15日 (月)

滋賀・芭蕉像

2009_0505seta0009 JR石山駅前に、俳諧の巨匠・芭蕉像が建てられています。
芭蕉は多くの地を訪れていますが、ここ滋賀には永眠した義仲寺など、縁が深いものがあります。
その芭蕉を偲んでのものと推測します。

2009年6月14日 (日)

滋賀・瀬田の唐橋

2009_0505seta0004 近江八景の一つとして有名な瀬田(せた)の唐橋は、京阪電鉄唐橋前駅の東約100mにあります。
この橋は多くの文学作品に登場し、古くから有名な長橋です。
歴史的にも日本書紀に登場しているとか。
昔から、京都への交通・軍事の要衝であり、何度も戦乱の舞台となってきました。現在のように大橋・小橋の形になったのは、織田信長(1534-82)が架け替えてからといわれています。
現在の橋は昭和54年(1979)に架け替えられたものです。

2009年6月13日 (土)

滋賀・石山寺⑩瀬田川を望む

2009_0510sakamotoisiya0029 石山寺の境内東測から瀬田港と流れる瀬田川を望むことが出来ます。
川の流れ、ボートなどを見ていると気分が落ち着いてきました。

2009年6月11日 (木)

滋賀・石山寺⑨鐘楼

2009_0510sakamotoisiya0030石山寺の鐘楼は、源頼朝の寄進と考えられていましたが、様式から鎌倉後期もものと判明しました。
前回の宝筐印塔の関係から、頼朝説が出たのではないでしょうか。
いずれにしても、その価値から重要文化財に指定されています。

2009年6月10日 (水)

滋賀・石山寺⑧方筐印塔

2009_0510sakamotoisiya0028 石山寺の方筐印塔は、源頼朝と亀ヶ谷禅尼の供養塔と言われています。
高さ1m28cmで南北朝時代のものと推定されています。

2009年6月 9日 (火)

滋賀・石山寺⑦多宝塔

2009_0510sakamotoisiya0027 多宝塔は、下が方形、上が円形に表面に宝形造りの屋根を乗せた塔です。
この党派1194年の鎌倉時代に建立されたもので、均整のある優れた建築物として、国宝に指定されています。
内部の柱や天井の仏像や草花が極彩色で描かれています。

2009年6月 8日 (月)

滋賀・石山寺⑥経蔵

2009_0510sakamotoisiya0026 経蔵は他の塔と違い、高床という建築様式です。
16世紀後期の建物と考えられ、数少ない校倉式で重要な経典が保存されています。
貴重なことから、重要文化財に指定されています。

2009年6月 7日 (日)

滋賀・石山寺⑤本堂

2009_0510sakamotoisiya0025 本堂は縣下木造建築最古のものとか。
正倉院文書によると761~762年には建立されていたとか。内陣は平安中期で、外陣は1602年に淀君の修補によります。
国宝に指定されています。
本尊は如意輪観世音菩薩で、前には本尊の手とつながっている結縁の綱が渡されています。

2009年6月 6日 (土)

滋賀・石山寺④天然記念物・硅灰岩

2009_0510sakamotoisiya0023 本堂に入る手前に、見上げるほどの大きな奇石があります。
ここから石山寺と名が付きました。
この石は硅灰岩で、石灰岩が花こう岩と接触し、その熱の為に変質したもの。
表面は淡黄色や淡褐色で、大きさは20m大を超えているものもあります。
天然祈念物に指定されています。

2009年6月 5日 (金)

滋賀・石山寺③蓮如堂

2009_0510sakamotoisiya0022 このお堂は、名のとおり蓮如上人6才の時の御影と遺品を祀っているお堂です。
文書から神事、仏事にも使用される非常にまれな建物です。
1602年に建立され、重要文化財に指定されています。

2009年6月 4日 (木)

滋賀・石山寺②朗澄律師ゆかりの庭園

2009_0510sakamotoisiya0020 石山寺の東大門の手前に、寺の中興の祖、朗澄律師のゆかりの庭園が有ります。
律師は、数学、図像画などの作品が多く残されています。
また、万民の招福のために鬼となることを誓って入寂されたとか。
その為に、像は鬼の顔となっています。

2009年6月 3日 (水)

滋賀・石山寺①東大門

2009_0510sakamotoisiya0021 石山寺は関西以外の方でも、よくご存知の寺です。
天平年間、聖武天皇の勅願で、開基された古刹です。
また、紫式部が「源氏物語」を書いた所とも伝えられています。
詳しくは、始めの石山寺の名をクイックして、ホームページをご覧ください。
写真の東大門は、正面左右に仁王像が安置されていることから、別名、仁王門とも呼ばれています。

2009年6月 2日 (火)

滋賀・坂本を訪ねて⑥西教寺(4)二十五菩薩像

2009_0510sakamotoisiya0018 本堂の左に、二十五菩薩像が有ります。
1586年に、富田民部之進が、幼くして亡くなった娘の往生浄土を祈って建立したものです。
「聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像」と言い、如来が菩薩を従えて、浄土世界から音楽を奏でながら来迎し、念仏する人を極楽浄土に導きされる思想です。

2009年6月 1日 (月)

滋賀・坂本を訪ねて⑥西教寺(3)本堂

2009_0510sakamotoisiya0017 西教寺の本堂は1739年に落成しました。
総ケヤキの入母屋造りの豪壮な建物で、江戸時代初期の特色を有しており、重要文化財に指定されています。

2009年5月31日 (日)

滋賀・坂本を訪ねて⑥西教寺(2)沢庵禅師の碑

2009_0510sakamotoisiya0015 総門の所に、江戸時代前期の名尚、沢庵禅師の碑が有ります。
禅師が1614年、近江を巡り「石山行記」を著した時に、この寺を紹介しています。

2009年5月30日 (土)

滋賀・坂本を訪ねて⑥西教寺(1)総門

2009_0510sakamotoisiya0014 西教寺は、今から500年前、室町時代に真盛上人が開いた天台宗のお寺です。
山門をくぐると、静寂の中に鉦(かね)の音が聞こえ、琵琶湖を見渡せる境内には、桜を始め、四季折々の自然が楽しめます。
また身代わりの手白猿の伝説や、比叡山焼き討ちの後の復興に力を注いだ、明智光秀一族の墓、伏見城の遺構である客殿、二十五菩薩来迎像など、さまざまな史跡があります。
写真の総門は、天正年間、坂本城主 明智光秀が移築したと伝えられています。

2009年5月28日 (木)

滋賀・坂本を訪ねて⑤滋賀院門跡(11)照隅苑

2009_0510sakamotoisiya0012 照隅苑(しょうぐうえん)は、門跡から慈眼堂への途中にあります。
この名は、伝教大師の諺「隅を照らす、これすなわち国の宝なり」から銘名しました。
本院の庭園に劣らず、見事な地泉回遊式の庭園で、落ち着いた雰囲気が漂っています。

2009年5月27日 (水)

滋賀・坂本を訪ねて⑤滋賀院門跡(10)慈眼堂

2009_0510sakamotoisiya0011 慈眼堂は、門跡院から少し離れて有ります。
1615年に、開いた慈眼大師天海が祀られています。

2009年5月25日 (月)

滋賀・坂本を訪ねて⑤滋賀院門跡(9)老僧の間

2009_0510sakamotoisiya0010 昭和初期の里坊を再現した「老僧の間」です。
実際に、大僧正が使用していた家具などを備えています。
当時の里坊の生活がかいま見る事ができ、参考になります。

2009年5月24日 (日)

滋賀・坂本を訪ねて⑤滋賀院門跡(8)庭園

2009_0510sakamotoisiya0009 宸殿の西側に徳川三代将軍 家光公の命により、作庭されたとのと。
南北に長い地泉回遊式で、有名な小堀遠州の作と伝えられます。

2009年5月23日 (土)

滋賀・坂本を訪ねて⑤滋賀院門跡(7)内仏殿

2009_0510sakamotoisiya0007 延暦寺の高僧達は、全て里坊にすんでいました。
そのため、ここを根本中堂と見立てて法要を行っていました。
このような荘厳な写真を撮影させていただいた、滋賀院門跡の方々に感謝します。

2009年5月20日 (水)

滋賀・坂本を訪ねて⑤滋賀院門跡(6)天海大僧正の鎧

2009_0510sakamotoisiya0004この滋賀院を開いた天海大僧正(慈眼大師)の鎧が展示されています。
慈眼大師は、徳川家康公から家光公まで、三代将軍のブレーンとして幕府の思想固めに大きな役割を果たしたことで知られています。

2009年5月19日 (火)

滋賀・坂本を訪ねて⑤滋賀院門跡(5)長棒

2009_0510sakamotoisiya0006 長棒とは、天台座主がさまざまの行事に乗る物です。

2009年5月17日 (日)

滋賀・坂本を訪ねて⑤滋賀院門跡(4)信長・家治の馨子(けいす)

2009_0510sakamotoisiya0005 次の間には、左に織田信長が寄進した大馨子(だいけいす)、また右には徳川第10代将軍、徳川家治公が寄進した鏧子(けいす)が展示されています。

2009年5月16日 (土)

滋賀・坂本を訪ねて⑤滋賀院門跡(3)天上輿

2009_0510sakamotoisiya0003 写真は、4年に1度のイベントに、天台座主が乗る「輿」です。
これも代々、伝えられてきました。

2009年5月14日 (木)

滋賀・坂本を訪ねて⑤滋賀院門跡(2)不滅の法灯

2009_0510sakamotoisiya0002 滋賀院で鑑賞していたら、担当の方から丁寧に説明していただきました。
お陰で良く理解できました。
「法灯」は、1200年の間、延暦寺の釈迦堂で灯し続けています。
展示してあるのは、先代の法灯とのことでした。
歴史の凄さを感じました。

2009年5月13日 (水)

滋賀・坂本を訪ねて⑤滋賀院門跡(1)勅使門

2009_0510sakamotoisiya0013 滋賀院は、延暦寺の本坊で、江戸時代末まで天台座主の居所であったため、滋賀院門跡と呼ばれています。
1615年に、慈眼大師天海が後陽成天皇から下賜され、この地に移しました。
外壁は穴太衆(あのおしゅう)積みの外壁に、白壁が続き優雅な構えをしています。
客殿には狩野派の障壁画があり、庭園は小堀遠州の作として有名です。
現在の建物は明治13年に復元されました。
写真は、勅使門です。

2009年5月11日 (月)

滋賀・坂本を訪ねて④旧・白毫院(2)庭園

2009_0429sakamoto0016 旧・白毫院の庭園は、江戸時代(1658年から1660年)に造られました。
南側は山畔を利用し、池の出島にある栗石敷や日本の葛石で出来た沢渡りなどもあり、地泉回遊式庭園となっていて、広さ1452平方m。
南側の山麓を生かしたもので、桃山手法の立派な白毫滝を造り、また池の出島にある栗石敷や二本の葛石で出来た沢渡りなど、一級品の庭園と言えます。

2009年5月10日 (日)

滋賀・坂本を訪ねて④旧・百毫院(1)洞窟

2009_0429sakamoto0012 旧・白毫院(現・芙蓉園)は、昔、比叡山延暦寺の宿坊(修行を積んだ住む隠居坊)、東塔東谷に属した白毫院でありました。
この洞くつは自然石を積み上げたもので、1643年に造られました。
奥には石で造った六室が設けられ、三方の出入り口を設け、その上に富士山を型どった築山となっています。
寛永年間に院主が貧しい人を救済しようと雇って築かせたものとか。

2009年5月 9日 (土)

滋賀・坂本を訪ねて③旧・竹林院

2009_0429sakamoto0021 坂本は、ご存知のように延暦寺の門前町として栄えてきましたが、歴史を今に伝える建物・史跡などが残されています。
中でも延暦寺の僧侶に隠居所の里坊は、今でも数多く残されています。
そのうち、旧・竹林院と旧・百毫院(芙蓉園)をご紹介します。
旧・竹林院は、八王子山を借景した、広さ3300㎡の庭園で、国の史跡に指定されています。
庭園内には、入母屋造り萱葺きで、珍しい間取りの茶室「天の川席」もあります。また地形を巧みに利用した滝組と築山を配し、大宮川の清流が園内を駆け巡り、落ち着いた雰囲気に包まれ、木々が四季折々の風情をかもし出しています。

2009年5月 8日 (金)

滋賀・坂本を訪ねて②日吉大社(5)亀井霊水

2009_0429sakamoto0011 亀井霊水は、昔、ここに池があり、伝教大師が参拝された時、霊亀が現れました。以来、閼伽井(仏様に捧げる水を汲む井戸)として、亀井と名付けられたとか。
霊水を求めて、人々が列をなして汲む姿が見られます。

2009年5月 7日 (木)

滋賀・坂本を訪ねて②日吉大社(4)宇佐宮

2009_0429sakamoto0008 日吉大社の境内には西本宮から東本宮にいたるまで、多くの摂社があります。
宇佐宮はその摂社の一つで、1598年、建立されました。
航海、海上の安全を祈る神として多くの人々から信仰されています。
この宮は、重要文化財に指定されています。

2009年5月 6日 (水)

滋賀・坂本を訪ねて②日吉大社(3)東本宮

2009_0429sakamoto0010 前回、ご紹介した西本宮と、もう一つは東本宮です。
東の祭神は 大山昨神(おおやまくいのかみ)は、古事記に記されているように比叡山の地主神で、五穀豊穣から日常生活の守り神として信仰を集めてきました。
東の本殿は、国宝に指定されています。

2009年5月 5日 (火)

滋賀・坂本を訪ねて②日吉大社(2)西本宮

2009_0429sakamoto0007 日吉大社には、二つの本宮が有ります。
その一つ、西本宮は、668年に天智天皇が大津京の遷都にあたって、奈良県の三輪山から勧請した、大己貴神(おおなむちのかみ)を祀っています。
平安朝の時代に国家の鎮護、方除け、魔除けなどの祈願とされ、歴代天皇も行幸し、また土木建築の守護神として武士や多くの人がお参りしました。

2009年5月 4日 (月)

滋賀・坂本を訪ねて②日吉大社(1)日吉三橋・大宮橋

2009_0429sakamoto0004 日吉大社は全国3800余りの山王さんの総本宮です。
伝教大師・最澄が延暦寺を開山した時は、日吉の神々を鎮守神となし、益々栄えたが、織田信長の比叡山焼き討ちの際に社殿のほとんどを焼失しました。
現在の建物は、ほとんど、後の豊臣秀吉が再建したものです。
境内は、広さ13万坪の広さを有します。
大鳥居をくぐると、写真の日吉三橋の一つ、大宮橋が架かっています。
日吉大社の詳しくは、ホームぺージを(最初の日吉大社をクィック)ご覧ください。

2009年5月 3日 (日)

滋賀・坂本を訪ねて①日吉東照宮

2009_0429sakamoto0003 今日から、滋賀県(大津市)坂本をご紹介しますので、ご覧ください。
坂本は比叡山延暦寺の町として栄えて来ました。
その延暦寺へお参りするのに、昭和2年に開業した、日本一長いケーブルカーが有名です。
坂本は比叡山の里坊ならず、神社や古い民家の石塀などに特異な石積みが見られます。「穴太衆積み」と呼ばれ、門前町の重要な景観要素になっています。
写真の「日吉東照宮」は、日光東照宮の雛型としてつくられたもので、関西の日光として知られています。

2009年5月 2日 (土)

兵庫・須磨を訪ねて⑤須磨離宮公園(3)噴水広場

2009_0412suma0014 公園のメイン施設が噴水広場です。
水をモチーフにした美しい欧風庭園。
レストハウスから流れた水は、滝となり、芝生「王侯貴族のバラ園」の水路に流れ、最後は大噴水になります。
また、周りは椿・桜・ツツジ、花菖蒲など、四季おりおりに花を楽しむことが出来ます。

2009年5月 1日 (金)

兵庫・須磨を訪ねて⑤須磨離宮公園(2)須磨の海を眺めて

2009_0412suma0018 離宮から須磨の海を眺めることが出来ます。
まさに絶景と言えます。
今はご覧のように高層ビルが並んでいますが、古くからの中国・朝鮮との交易の港、また源平の合戦が行われた、いにしえを偲べば、そこはロマンの世界です。

2009年4月30日 (木)

兵庫・須磨を訪ねて⑤須磨離宮公園(1)離宮道

2009_0412suma0011 離宮公園は、大正時代の武庫離宮(戦災により焼失)をもとに昭和33年に皇太子殿下(平成天皇)ご成婚記念事業として整備が始まり、昭和42年に開設されました。
離宮当時の松並木などが当時の面影をとどめています。
写真は正門から中門に向かう馬車道です。
ここを皇族が通っておられました。
また植物園もあり、中には300種以上の樹木や草花が植えられ、温室・和庭園なども有ります。

2009年4月29日 (水)

兵庫・須磨を訪ねて④須磨寺(4)源平の庭

2009_0412suma0007 須磨はご存知のように、源平の戦いで有名な所です。
中でも、1184年に近くの一の谷合戦の時、源氏の武将、熊谷直実が海上に馬を乗り入れ、沖に逃げようとする平敦盛と組み打ち、首をはねたのは、現在に伝えられています。
それを再現した像が有ります。(左)敦盛、(右)直実で迫力満点です。
また、敦盛は、当時、笛の名手と名高く、その笛が寺に残されています。

2009年4月28日 (火)

兵庫・須磨を訪ねて④須磨寺(3)書院庭園

2009_0412suma0009 本堂と共に須磨寺の中心で、書院は阿弥陀如来を本尊とする持仏堂でもあります。その書院と本坊の庭前には、見事な庭園が広がっています。
滝の流れる庭、芭蕉句碑、真鍋豊平の歌碑などがあり、佇んでいると、心が休まります。

2009年4月27日 (月)

兵庫・須磨を訪ねて④須磨寺(2)本堂

2009_0412suma0008 本堂は1602年に豊臣秀頼が再建したものですが、内陣の宮殿は1368年、室町時代の建築で重要文化財です。
本尊の聖観世音菩薩、脇侍毘沙門天、不動明王が祀られています。
現存するのは、昭和47年に全面解体修理、この後、阪神淡路大震災の被災を乗り越え、平成17年に修理が行われて現在の姿になっています。

2009年4月26日 (日)

兵庫・須磨を訪ねて④源平ゆかりの須磨寺(1)山門

2009_0412suma0006

須磨寺は、前回の平重衡の碑から、真っ直ぐ商店が建ち並ぶ道を進んだ所にあります。
真言宗須磨派の大本山で、須磨のお大師さんと親しまれています。
境内には、平敦盛の首塚や源平ゆかりの史跡が多く、またゆかりの品々の展示、歴史を説明する資料等が展示されています。
詳しくは、寺のホームページをご覧ください。(上の寺名をクィック)

2009年4月25日 (土)

兵庫・須磨を訪ねて③平重衡捕われの松

2009_0412suma0005 山陽電車須磨駅直ぐに平家一族、「平重衡捕われの松跡」碑が有ります。
1184年、源平の合戦で敗れ、源氏の捕虜となった重衡が土地の人に須磨の名物であった、濁り酒を勧められ、「さきほろや 波こともとを 打ちすぎて 須磨でのむこそ 濁り酒なり」と詠んだものです。

2009年4月24日 (金)

兵庫・須磨を訪ねて②網敷天満宮(3)茄子のこしかけ

2009_0412suma0004 網敷天満宮のユニークな一つとして、「茄子のこしかけ」が有ります。
茄子の花は一つの無駄も無く実を結びます。
またなすが為すと語呂が同じで、労力が報いて願いが叶うとのこと。
この茄子の椅子に腰掛け、本殿に向かって願いを込めれば、どんな願いでも叶います。

2009年4月23日 (木)

兵庫・須磨を訪ねて②網敷天満宮(2)波乗り祈願

2009_0412suma0003 網敷天満宮にはユニークなものがあります。
その一つが、この波乗り祈願。
成功を治めるために、うまく時流に乗ることを祈願するもの。
時を読み、流れに逆らわず、状況に適応して生きていくことの大切さを教えています。
モチーフは須磨の海で、菅原道真がサーフボードを抱える姿とか。

2009年4月22日 (水)

兵庫・須磨を訪ねて②網敷天満宮

2009_0412suma0002 前回の村上帝社から東に網敷天満宮があります。
日本25社の一つで、「須磨の天神様」と親しまれています。

2009年4月21日 (火)

兵庫県・須磨を訪ねて①村上帝社

2009_0412suma0001 今日から兵庫県須磨市をご紹介します。
この村上帝社は、山陽電鉄 山陽須磨駅 徒歩3分またはJR 須磨駅 徒歩5分にあります。
この神社の創建について、次のような伝承があります。平安時代末期、琵琶の名人であった藤原師長は唐に渡って琵琶の奥義を極めたいと思い、都を出て、須磨まで来ました。
その夜、村上天皇と梨壺女御の霊が現れ琵琶の奥義を伝えたので、師長は入唐を思いとどまり、名器「獅子丸」を埋めて都に帰りました。
この伝承を題材として能の「絃上」(玄象)が作られ、この伝承に基づき、土地の人が村上天皇を祀ったのが当社であると伝えられます。

2009年4月20日 (月)

京都・山背古道を訪ねて④地蔵禅院(2)禅院からの眺望

2009_0405kyoutoide0010 禅院からは、井手の町並みが一望できます。
眺めていると、心のウサが晴れる感じがすると思います。

2009年4月16日 (木)

山背古道を訪ねて④地蔵禅院(1)しだれ桜

2009_0405kyoutoide0006 前回の玉津岡神社の西側境内を接して、地蔵禅院があります。
ここは写真のように、しだれ桜が有名です。

2009年4月15日 (水)

山背(やましろ)古道を訪ねて③玉津岡神社

2009_0405kyoutoide0011 前回の小野小町塚を進み、その北側に玉津岡神社があります。
詳しくは、玉津岡神社のホームページをご覧(神社名をリンク)ください。

2009年4月14日 (火)

京都・山背(やましろ)古道を訪ねて②小野小町塚

2009_0405kyoutoide0005 前回の桜の玉川から北東に10分ほど進むと、上井手公民館への表示があり、その方向に進むと「小野小町塚」が有ります。

2009年4月13日 (月)

京都・山背(やましろ)古道を訪ねて①玉川の桜

2009_0405kyoutoide0014 今日から、京都南部の井手町をご紹介しますので、見てください。
山背(やましろ)古道は京都府の南西部にある城陽市、井手町、山城、木津市を結ぶ山沿いの小径で田園風景を満喫できます。
古くから和歌に詠まれた玉川、小野小町ゆかりの地であり、地蔵禅院に立ち寄りました。
始めは、桜の名所、玉川です。
JR奈良線、玉川駅を出て左に直ぐに玉川に。
堤には、約500本の桜が咲き乱れます。また、黄金色に輝くヤマブキが更に彩を添えます。

2009年4月12日 (日)

龍野を訪ねて⑦「夕焼け小焼け」の歌碑

2009_0321suketti0010 初回にご紹介しましたように、たつの市は童謡作歌 三木露風の故郷です。
白鷺山に至る散策道「童謡の小径」があります。
その道沿いには「夕焼け小焼け」「里の秋」など8曲の歌碑が設置されています。
また歌碑の前に立てば、メロディが流れ、散策しながら童謡に耳を傾けることが出来ますよ。

2009年4月11日 (土)

龍野を訪ねて⑥聚遠亭(しゅうえんてい)

2009_0321suketti0008 前回でご紹介した武家屋敷通を北に進み、左に折れると「聚遠亭(しゅうえんてい)」が有ります。
江戸時代後期、寛政の改革を行った老中、松平定信が来遊した時、ここからの眺めが素晴らしいので「聚遠の門」と詠んでから、この名がついたとか。
この亭の心字池上にある浮堂の茶室は、庭園、池、杉垣根などと調和した書院造りを模した数奇屋風の建築で、美しい景観を持っています。

2009年4月10日 (金)

龍野を訪ねて⑤武家屋敷跡

2009_0321suketti0009 本丸御殿の西に進むと、周辺には武家屋敷など城下町らしい風情が残っています。
写真のように白壁の土塀には「見通し窓」、石垣の「打ちコミハギ」などの古い佇まいを眺めることが出来ます。

2009年4月 9日 (木)

龍野を訪ねて④城公園

2009_0321suketti0006 前回の本丸からは市内が一望でき、また御殿の前はベンチや東屋などが置かれ、春には桜が咲き誇る名所になっています。
くつろいだ雰囲気が漂い、心が落ち着けます。
ぜひ一度、訪れることをお勧めします。

2009年4月 8日 (水)

龍野を訪ねて③龍野城

2009_0321suketti0007 前回のうすくち龍野しょう油資料館から少し歩いた所に「龍野城」に。
上には、復元された本丸御殿があります。

2009年4月 7日 (火)

龍野を訪ねて②うすくち龍野しょう油資料館

2009_0321suketti0005 この建物は大正期に建築された赤れんが造りで、当時のしょう油造りの今昔を用具や文献資料で見学できます。

2009年4月 6日 (月)

龍野を訪ねて①旭橋

2009_0321suketti0002 兵庫県龍野(市の名は、たつの市)は県南部の瀬戸内海に面し、姫路市と相生市との間に位置し、播磨の小京都として良く知られています。
しょう油、そうめん等の名産品がありますが、童謡「赤とんぼ」の作詞家、三木露風を輩出した土地としても有名です。
今回から、龍野を訪れたので、見てください。
JR姫新線、本竜野駅から西に向かって行くと、揖保川にさしかかります。
その中に視界に赤い歩道橋が目に入ります。
山をバックに川の爽やかな流れ、なかなか趣きがあります。

2009年4月 5日 (日)

安土を訪ねて⑤滋賀県東部を望む

2009_0320suketti0019 前回の琵琶湖畔は西側ですが、反対の安土城大手道から滋賀県東部を望むと素晴らしい眺めを楽しむことが出来ます。
一面の田畑、のどかな風景、そしてその中を走る新幹線、まさに絶景です。

2009年4月 4日 (土)

安土を訪ねて④琵琶湖畔を望む

2009_0320suketti0021 天守閣跡から琵琶湖の西岸を望むことができます。
ここからは、雄大な眺めを見る事ができ、信長も当時、ここから天下統一に思いを馳せていたのでしょう。

2009年4月 2日 (木)

安土を訪ねて③安土城天主跡

2009_0320suketti0014 信長の建てた安土城の天主は、東西・南北28mの台地に建てられていました。
今は礎石が1.2m置きに並んでいます。
当時は高さ33m、五層七階の勇壮な建物であったとか。

2009年4月 1日 (水)

安土を訪ねて②安土城壁の復元

2009_0320suketti0012 いま、城のあちらこちら城壁、大手道、豊臣秀吉邸、徳川家康邸など信長の配下の武将たちの住居跡が明らかになっています。
写真のように城壁も復元されています。

2009年3月31日 (火)

安土を訪ねて①信長公像

2009_0320suketti0011 今回から、織田信長ゆかりの安土を紹介します。
ご存知、天下統一を目前にしながら、京都・本能寺で明智光秀の謀反で野望敗れた織田信長が、標高200mの安土山に築城しました。
その城は、今、復元されていますが、信長の像が、安土駅前に建てられています。

2009年3月30日 (月)

京都・八幡を旅して④日本最大の航空記念塔

2008_1220h201220yawata0002 始めに紹介しました神應寺の西側に航空記念塔が建てられています。
高さ6mに及び日本最大のものです。

2009年3月29日 (日)

京都・八幡を旅して③岩清水八幡宮・楼門

          岩清水八幡宮は、2008_1220h201220yawata0009 859年に行教律師により勧請されました。
「やわたのはちまんさん」と親しまれています。
詳しくは、宮のホームページ(岩清水八幡宮とクィックしてください)でご覧ください

2009年3月28日 (土)

京都・八幡を旅して②ケーブルカー

2008_1220h201220yawata0005 岩清水八幡宮にお参りするのに、参道もありますが、ケーブルカーに乗るのも楽しいものです。
そこからの眺めは、なかなかのものです。

2009年3月26日 (木)

京都・八幡(やわた)を旅して(1)神應寺・本堂

2008_1220h201220yawata0001 前回で長崎を終わり、今日から古都を訪ねて歩いたものを紹介しますので、見てください。
その1回目は、神應寺(京都府八幡市八幡西高坊24、京阪電車八幡駅下車、北に5分)です。
神應寺は、石清水八幡宮を勧請した「行教律師」により、西暦860年に創建されました。
写真の本堂には本尊薬師如来、日光・月光菩薩、秀吉位冠束帯像、行教律師坐像(重文)が安置されています。
この他、書院は伏見城遺構の移築と伝えられ、狩野山雪の障壁画が描かれ、また奥の院(杉山谷不動尊・すぎやまたにふどうそん)には南無大聖不動明王、脇仏矜羯羅童子・制多迦童子(八幡市指定文化財)、十一面観世音菩薩を安置しています。
ここは縁側より京都、宇治、淀川に向けた眺望、さらに秋は紅葉が美しい。
しかし拝観には、事前に電話(TEL 075-981-2109)に連絡をされた方法が良いです。

2009年3月25日 (水)

長崎の旅⑮被爆を忘れない(5)平和祈念像

Dscf0040 平和祈念像はこの平和公園の、そして平和のシンボルです。
上空を指す右手は原爆の脅威、水平に伸びた左手は世界の平和、閉じられた瞼は原爆犠牲者の冥福を祈っていると言われています。
緑豊な園内には、平和の泉や平和の鐘などがあり、世界に向けた平和の熱い思いを伝えています。

2009年3月24日 (火)

長崎の旅⑮被爆を忘れない(4)原爆投下中心地

Dscf0039 ここが昭和20年8月9日に長崎に原爆が投下された場所です。

2009年3月23日 (月)

長崎の旅⑮被爆を忘れない(3)浦上天主堂

Dscf0038 浦上天主堂は、キリシタン弾圧に耐えて、明治維新にようやく信仰の自由を得た、浦上のキリスト教信者たちが建てた天主堂です。
東洋一のロマネスク様式の大聖堂でした。
惜しくも被爆し破壊されましたが、1980年に人々の熱い願いによって再建・完成しました。

2009年3月22日 (日)

長崎の旅⑮原爆を忘れない(2)一本足の鳥居

Dscf0037 前回の山王神社は、原爆落下地点からから南に900mほどの場所に位置していますが、神社の鳥居は当時4つありました。
そのうち2番目の鳥居は爆の爆風で吹き飛ばされたものの、半分が
奇跡的なバランスで半分だけ残りました。
原爆のすさまじさを伝えています。

2009年3月21日 (土)

長崎の旅⑮被爆を忘れない(1)山王神社のクスノキ

Dscf0036 今日から原爆を二度と許すまじ、と悲惨な現状を伝えていきます。
その1は、山王神社に植えられているクスノキです。
向かって左の木は、高さ17.6mで幹周り6m58cm、一方、右の木は、高さ21mで幹周り8m63cmです。
幹の上部は、原爆の爆風で折れましたが、木は枯れることなく、今では枝は四方に広がっています。
当時の惨状を今に伝えています。

2009年3月20日 (金)

長崎の旅⑭日本三大夜景・稲佐山の夜景

Dscf0031 長崎の東部に位置する稲佐山は高さ333m。
ロープウェイで山頂の展望台に上り、空中散策を楽しむことが出来ます。
展望台からは、晴れた日は五島列島、雲仙、天草まで眺望を楽しめます。
特に、夜は宝石を散りばめたような、素晴らしい夜景を眺めることが出来ます。

2009年3月19日 (木)

長崎の旅⑬出島資料館(1)出島表門

Dscf0033 1636年、江戸幕府はポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止するために、長崎に約1万5千平方㍍の人工島を築き、江戸時代の鎖国当時、200年もの間、日本と西洋が交流する唯一の窓口だったのが、出島です。
200年もの間、オランダ人が住んだこの地から西洋の文化・経済・学問が伝わりました。
明治時代以降、出島周辺は埋め立てられましたが、1996年から復元整備が進められています。
近年、復元された建物群の中に入ると。江戸時代にタイムスリップしたように思われます。
(1)出島表門(水門)には二つの通り口があり、南側は輸入用、北側は輸出用に使われていました。

2009年3月18日 (水)

長崎の旅⑫崇徳寺(3)護法堂

Dscf0021 護法堂には中央に観音菩薩、向かって右に関帝(関羽)、左に韋駄天をお祀りしています。
この堂は重要文化財に指定されています。

2009年3月17日 (火)

長崎の旅⑫崇徳寺(2)大雄宝殿

Dscf0020 大雄宝殿は1646年に建立された建物で、本堂になります。
中には本尊の釈迦如来などの三尊、十八羅漢の仏像などが安置されています。

2009年3月16日 (月)

長崎の旅⑫崇徳寺(1)第一峰門

Dscf0019 崇徳寺は、1629年に明の僧、超然が開いた日本最古の黄檗宗寺院です。
明の末期から清の時代の建築様式を今に伝えていて、国宝に指定されています。
この第一峰門は1636年に建立されたもので、唐門、赤門とも呼ばれ、軒裏の複雑な組み物を有しています。
また、このあたりは北の清水寺から西の若宮神社まで十数社の寺院が並んでいます。

2009年3月15日 (日)

長崎の旅⑪日本二十六聖人殉教碑

Dscf0026 1597年12月19日、豊臣秀吉はキリシタン禁令を進め、京都で捕まえた6人の外国人、26人の日本人をこの長崎・西坂の地で処刑しました。
今では国際的な巡礼地になっています。
碑の近くにある記念館には二十六聖人の遺物などが展示され、キリシタン弾圧の歴史を深く物語っています。

2009年3月14日 (土)

長崎の旅⑩めがね橋

Dscf0023 数々の歌でおなじみのめがね橋。
アーチと川面に映るその姿を合わせるとメガネに見えることから、名づけられたとか。
興福寺の僧によって築造された、現存する日本最古のアーチ橋です。
メガネ橋が架かる中島川には、他にも由緒ある橋が多く架けられています。

2009年3月13日 (金)

長崎の旅⑨思案橋横丁

Dscf0018 長崎一の繁華街・思案橋横丁は、東京で言えば銀座、大阪なら北新地でしょうか。
昔は花街であったとか。
昼は写真のようですが、夜になるとネオンのまたたく街に変化するのです。

2009年3月12日 (木)

長崎の旅⑧唐人屋敷跡・天后堂

Dscf0017 唐人屋敷跡はご存知のように、徳川幕府の鎖国政策のために、日本に住んだ唐人の屋敷跡で、この天后堂は1689年に完成したものです。
現存の建物は1906年に改築されています。
いかにも唐人の屋敷と言う感じを受けたもので、これまで映画などで見たことがあっただけで、実際に目にした時は、感慨深いものがありました。

2009年3月11日 (水)

長崎の旅⑦オランダ坂

Dscf0016 オランダ坂・・昔、長崎の人たちは東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼んでいたとか。
そのオランダさんが歩いていたことから、オランダ坂と名づけられました。
石畳が続く坂道は、かって外国人居留地だった頃の情緒がたっぷり味わうことが出来ます。

2009年3月10日 (火)

長崎の旅⑥孔子廟・中国歴代博物館

Dscf0014_2孔子廟・中国歴代博物館は、ここは中国?と思わず感じる、きらびやかな建物です。
前庭には中国で彫刻された72体の賢人像が並んでいます。
写真の博物館には、中国の貴重な文化財が並んで、長崎ととても縁が深い中国文化の素晴らしさを満喫することができます。

2009年3月 9日 (月)

長崎の旅⑤旧香港上海銀行長崎支店記念館

Dscf0012 香港上海銀行は、明治29年(1896年)に長崎に支店を開設し、在留外国人、なかでも貿易商を主な取引先として外国為替やロンドン・上海・香港における外貨の売買を主要業務とした特殊為替銀行であったとか。
この建物は、明治37年(1904年)に竣工したもので、長崎市内の石造り洋館としても最大級のものです。
昭和6年(1931年)に閉鎖され、警察署庁舎、歴史民俗資料館として利用されてきました。
その後、建物の外壁の一部を復元して、そのまま現地で保存活用することになり、平成2年には、国の重要文化財に指定され、約4年間の保存修理工事を経て、平成8年10月1日にオープンした。
 記念館の1階は、当時の銀行乗務を物語る資料などを展示し、夜間はコンサートや講演会等が開催できる多目的ホールとして、2階は応接室、展示室(居留地の人々)、頓珍漢人形の展示室が、また3階は、「長崎-上海航路」、「貿易港長崎」、「港往来」、「建築・建築家」の4つのテーマで、展示を行っています。

2009年3月 8日 (日)

長崎の旅④大浦天主堂

Dscf0011 大浦天主堂は1864年に完成した、現存する日本最古のゴシック様式の建物で、国宝に指定されています。
正式には、日本二十六聖殉教者天主堂といって、1597年に殉教した二十六聖人に捧げられたものです。
ステンドグラスには、キリストの磔の絵が描かれ、その上の極彩色の天への敬けん、右の方には宗教画が飾られて、荘厳な雰囲気が漂っています。

2009年3月 7日 (土)

長崎の旅③グラバー園(4)グラバー邸

Dscf0009 グラバー邸の主、グラバー氏はスコットランド出身で、1859年に日本を訪れました。
幕末には坂本竜馬などの志士たち、また明治維新には日本の近代科学や技術の導入に大いなる貢献をしたと言われています。
グラバー邸は、現存する日本最古の木造洋館で、重要文化財に指定されています。
家は真上から見ると、クローバーの形をしています。
中には、愛用のステッキやつり道具、ゆかりの品々が展示されています。

2009年3月 6日 (金)

長崎の旅③グラバー園(3)リンガー邸

Dscf0008 リンガー氏は1868年に来日し居留地の外国人と長崎市民との交流を進め、また幅広い事業を行いました。
リンガー邸は、洋館の中に日本の様式を取り入れていて、趣のある建築です。

2009年3月 5日 (木)

長崎の旅③グラバー園(2)オルト邸

Dscf0007 グラバー園内には、江戸時代末期から明治時代にかけて、しばらく日本の近代化に貢献したトーマス・ブレーク・グラバー氏の邸宅など、緑や花に囲まれた園内に点在する歴史的な洋館を訪ねました。
その最初は、ウィリアム・オルト邸です。
オルト氏は開国まなしに来日してお茶を中心に貿易事業を行いました。
彼の妻・エリザベスは長崎の美しさを回想していたとか。
オルト邸は、重要文化財に指定されています。

2009年3月 4日 (水)

長崎の旅③グラバー園(1)プッチーニと三浦環の像

Dscf0006 園内に入って先ず、歌劇「蝶々夫人」の作曲者プッチーニとその歌劇で30年間歌った三浦環の像です。
なかなか迫力のあり、しかも叙情的な像でした。

2009年3月 3日 (火)

長崎の旅②グラバー邸から長崎港を望む

Dscf0003 最初はグラバー邸を訪ねました。
スカイロードから珍しい斜めに行くエレベータから見た長崎港辺りの風景です。

2009年3月 2日 (月)

長崎の旅①チンチン電車

Dscf0001 今日から「長崎の旅」に入ります。
以前から行きたかった所で、やっと念願が叶いました。
第1回目は市内を走る路面電車、俗に言うチンチン電車です。
どこまで行っても100円という、安さもさることながら、情緒があり、思わず写真に収めました。

2009年3月 1日 (日)

長野の旅・駿河丼に舌づつみ

023 長野を旅した時に、山梨県甲府市に立ち寄った際に、入った食堂で「駿河丼」をちゅうもんしました。
甲府で駿河丼というのも合わないかもしれないですが、たいそう美味しかったです。

2009年2月28日 (土)

長野の旅・善光寺⑥歴代回向柱

010 境内に9本の回向柱が建てられています。
回向柱は、7年に一度開かれる御開帳のシンボルとして、前立御本尊と人々との架け橋となったもので、御開帳終了後には経蔵裏手へ移動され、人々の思いと共に長い年月を経て土に還っていきます。
現在は9本ほどの回向柱があり、一番古い回向柱は50センチ程になっています。

2009年2月27日 (金)

長野の旅・善光寺⑤延命福徳地蔵尊堂

009 仲見世通り中央西側に「如来堂旧地」という石碑があります。
この地は善光寺草創以来、本尊壇があった場所であり、延命地蔵尊は現本堂落成から5年後の正徳二年(1712年)に造立されました。
当時の地蔵尊はその後の災害や供出により現存しておりませんが、現在は昭和二十四年に復興された地蔵尊が、写真のお堂に安置されています。

2009年2月26日 (木)

長野の旅・善光寺④経蔵

008 経蔵は、江戸時代中期に建立されたお堂です。
内部には仏教経典を網羅した『一切経』が収められていて、内には輪蔵を考案した傅大士、並びに伝教・慈覚の両大師像が祀られているとか。
と言うのは、経蔵は建物老朽化のため、当面の間、建物の外から中は見れますが、中には入れないのです。

2009年2月25日 (水)

長野の旅・善光寺③大勧進

007 大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、大本願の上人(しょうにん)と共に善光寺住職を兼ねています。
貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっており、毎朝、善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕されます。
大勧進には本堂の万善堂の他、無量寿殿・不動堂・地蔵八角円堂・紫雲閣・宝物殿・僧侶が修行をする聖天堂などがあります。

2009年2月24日 (火)

長野の旅・善光寺②鐘楼・梵鐘

006善光寺の鐘楼・梵鐘は重要美術品に指定されています。
鐘楼は1853に、また梵鐘は1667年のもの。
長野オリンピックの開会を告げた鐘としてよく知られています。

2009年2月23日 (月)

長野の旅・善光寺①本堂

005 善光寺は、全国民から親しまれてるお寺です。
本尊の一光三尊阿弥陀如来はわが国最古の仏像とか。
この仏像は、難波の堀江へと打ち捨てられていましたが、後に、信濃国司の従者として都に上った本田善光が信濃の国へとお連れし、642年に現在の地に遷座されました。
644年に伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。
現存の本堂は1707年に創建されたものです。

2009年2月22日 (日)

長野の旅・信玄公ゆかりの地を訪ねて⑨信玄・謙信戦いの跡

022 信玄・謙信両公が激しく戦った川中島の地は、今は史跡公園になっています。
公園の松林の中には古くからの八幡社が静かにたたずみ、境内には信玄・謙信両雄一騎討ちの像や三太刀七太刀之跡の碑、首塚などがあります。
また公園を囲むように桜が植えられ、花の時期は見事。
芝生広場や池などが整備されて子どもたちの格好の遊び場ともなっています。
隣接の長野市立博物館では、長野盆地の歴史と生活をテーマに出土品や資料を展示。プラネタリウムも併設されています。

2009年2月21日 (土)

長野の旅・信玄公ゆかりの地を訪ねて⑧信玄・謙信の一騎打ち

020 有名な信玄公と謙信公の一騎打ちの像です。
謙信公は三太刀打ち込んだと言われます。
しかし信玄公の軍配には七太刀の跡があったとか。

2009年2月20日 (金)

長野の旅・信玄公ゆかりの地を訪ねて⑦八幡社

021 ご存知のとおり、有名な川中島の戦いで、1561年の戦いの場がこの八幡原です。
前回、ご紹介した山本勘助が討ち死にした場所であり、一番激しい戦いの舞台でした。
今は史跡公園になっています。
その中にこの八幡社が建てられています。

2009年2月19日 (木)

長野の旅・信玄公ゆかりの地を訪ねて⑥胴合橋の碑

011 胴合橋は、信玄公の軍師、山本勘助が川中島の戦いで謙信公の軍によって討ち死に、首を取られましたが、その後、2キロ離れていた首を取り返し、胴とくっつけた所といわれています。

2009年2月18日 (水)

長野の旅・信玄公ゆかりの地を訪ねて⑤武田神社

004 武田神社は信玄公を祭神に大正8年に社殿が完成しました。
詳しくは上の神社名をリンクしてご覧ください。

2009年2月17日 (火)

長野の旅・信玄ゆかりの地を訪ねて④武田氏舘跡

003 武田氏の館は、ご存知のように「躑躅ヶ崎の舘」と呼ばれ、1519年にこの地に建てられました。
信玄の父、信玄そして勝頼と三代続いたもので、甲府城が出来るまで領国の中心でした。
すぐ傍の左近の桜が往時を偲んでいます。
なお、ここは国の指定史跡になっています。

2009年2月16日 (月)

長野の旅・武田信玄ゆかりの地を訪ねて③信玄公産湯の井戸

024 前回、ご紹介しましたように、積翆寺は信玄公が生まれた所と言われていますが、その産湯を使った井戸が残されています。

2009年2月15日 (日)

長野の旅・武田信玄ゆかりの地を訪ねて

002 積翆寺(甲府市積翆寺町)は、臨済宗の名刹です。
1521年、大井夫人はこの寺で後の信玄を出産したと伝えられます。

2009年2月14日 (土)

長野の旅・武田信玄公ゆかりの地を訪ねて

001 今日から、長野を旅した時の思い出を見てください。
甲府駅前にある信玄公の像です。
戦国時代最強と言われた武将の像は、見上げると威風堂々としています。
織田信長、徳川家康などを攻撃中に病気で世を去った無念さは、今は思い測ることは、で来ませんが。

2009年2月13日 (金)

岩船寺⑤報恩の鐘

Dscf0041 境内に「報恩の鐘」があります。
この鐘は、説明に生かされていることについて感謝を込め、心を込めて撞いてくださいと書いてありました。
厳かな気持ちになり、無心に撞けば、鐘の余韻が心に響きました。

2009年2月12日 (木)

岩船寺④十三重塔

Dscf0037 岩船寺の十三重塔は1314年に妙空僧正が造立したものと伝えられます。
この十三重塔も重文に指定されています。

2009年2月11日 (水)

岩船寺③三重塔

Dscf0042 三重塔も重文に指定されています。
この塔は、825年、智泉大師が入滅後、仁明天皇が大師の遺徳を偲んで宝塔が建立したものであると伝えられます。

2009年2月10日 (火)

岩船寺②岩室不動明王

Dscf0034 岩室不動明王は1312年、塔頭湯屋坊の住僧、盛現が断食療法を成満し、眼病を平癒した報恩に自ら不動明王を彫り、お祀りしました。
重要文化財にしてされています。
今でもその霊験にあやかろうと多くの信仰を集めています。

2009年2月 8日 (日)

岩船寺①山門

Dscf0033 岩船寺(京都府加茂町岩船、奈良駅からなら交通バスで岩船口下車、徒歩20分)は、729年、聖武天皇が出雲に行幸の時、夢によってこの地に阿弥陀堂の建立を発願し、行基菩薩に命じて建てたのが始まりです。
その後、皇族の関わりが深く、813年に岩船寺となりました。
その後、焼失などもありましたが、江戸初期の寛永期に再興されました。
寺宝として、平安時代に製作された本尊の重文・阿弥陀如来坐像、同じく普賢菩薩騎象像等を有し、また境内には重文・三重塔、十三重石塔、五輪塔、さらに天邪鬼など多くを有しています。
岩船寺は関西花の寺霊場第十五番札所であり、春は桜、ツツジ、みやこわすれ、夏はアジサイ、睡蓮、さるすべり、秋は紅葉、冬は梅、みつまた、椿と四季の花が咲き、併せて楽しむことができます。

2009年2月 7日 (土)

当尾の石仏めぐり④笑い仏

Dscf0032 仏さんがほほえんでおられますが、笑っておられるという「笑い仏」と言うのは、僕は始めて拝みました。
観世音菩薩、阿弥陀如来坐像、聖寺菩薩坐像が並んでいます。
銘文は1299年、2月15日、願主 岩船寺住僧 大工末行 蓮台と彫られています。

2009年2月 6日 (金)

当尾の石仏めぐり③唐臼(からす)のつぼ

Dscf0014 「唐臼(からす)のつぼ」って見ていてもよくわからないですが、確かに言われてみれば、そんな感じがしないでもないのですが・・・。
奇妙でもあるし反面、奥が深いような気もするし。

2009年2月 5日 (木)

当尾の石仏めぐり②あたご灯ろう

Dscf0013 浄瑠璃寺から岩船寺に行く道筋で前回の「藪の中三尊」の次に「あたご灯ろう」があります。
ひょろっとした形が妙に趣きがあります。

2009年2月 4日 (水)

当尾の石仏めぐり①藪の中三尊

Dscf0012 ながおの阿弥陀仏のところでご紹介しましたように、当尾地域は平安後期から鎌倉、室町時代に掛けて浄土信仰の霊地として栄えました。
このため多くの石仏が造られていました。
岩船寺から浄瑠璃寺まで(徒歩約30分)のひとつとして、「藪の中三尊」があsります。
地蔵菩薩を中に、右に錫状を持つ十一面観音、左に阿弥陀如来坐像で、銘文は1262年、当尾の中で最古のものとされています。

2009年2月 3日 (火)

浄瑠璃寺④三重塔

Dscf0038 三重塔は池を挟んで東側にあります。
この塔は彼岸を意味していて、薬師如来をお祀りしています。
この薬師如来は創建時の本尊でしたが、今は三重塔に祀られていますが、藤原時代に造られたもので、国宝に指定されています。
初層内は扉の釈迦八相、四隅の十六羅漢図などと壁面が埋められています。
ただ開扉されるのは晴れの日で毎月8日、春分・秋分の日、正月3ヶ日だけですので、お気をつけてください。

2009年2月 2日 (月)

浄瑠璃寺③庭園

Dscf0007 庭園は第1回目に紹介しましたように藤原時代に始まってもので、特別名勝及び史跡にされています。
平安時代後期の浄土式庭園で、州浜敷きの中島や玉石敷きの出島などが復元されています。
さらに境内には四季折々の花々が植えられ、訪れた人たちの目を楽しませてくれます。

2009年2月 1日 (日)

浄瑠璃寺②九体阿弥陀堂

Dscf0008 浄瑠璃寺に安置されている阿弥陀仏は西方未来の理想郷である楽土に迎えてくれる来迎仏であります。
堂の中には国宝・九体阿弥陀如来像が安置され、現存する唯一のものです。
中尊は丈六像ですが、その名のとおり、横一列に九体の阿弥陀如来が並んでいて、その姿を拝見すると荘厳な気持ちに浸ることが出来ます。
また、秘仏、吉祥天女像は、年3回位の公開だけですが、訪れた時がゴールデンウィークだったので、見ることが出来て幸運でした。

2009年1月31日 (土)

浄瑠璃寺①山門

Dscf0003 浄瑠璃寺(京都府加茂町、近鉄奈良駅から奈良交通バスで浄瑠璃寺前下車)は、真言律宗のお寺です。
この地域は興福寺の別所として多くの石仏が造られていました。
この寺もその一つとして池を挟んで薬師仏を祀る三重塔、中央宝池、九体阿弥陀堂から成り立っています。
寺名は創建時の本尊・薬師仏から名付けられました。
国宝として九体阿弥陀像、四天王像、また重文として子安地蔵菩薩像、不動明王・浄土寺流記事、二基の石灯籠など多くを有し、また庭園も藤原時代に始まってもので、特別名勝及び史跡にされています。
平安時代後期の浄土式庭園で、州浜敷きの中島や玉石敷きの出島などが復元されています。
さらに境内には四季折々の花々が植えられ、訪れた人たちの目を楽しませてくれます。

2009年1月30日 (金)

奈良(当尾地域)ながおの阿弥陀如来

Dscf0001 今日から「奈良シリーズ」に入ります。
奈良・当尾地域は奈良県の東北に位置します。
現在は京都府ですが、いにしえから奈良との関連が深いところです。
平安後期から鎌倉、室町時代に掛けて浄土信仰の霊地として栄えました。
また興福寺の別所として多くの石仏が造られていました。
・うち浄瑠璃寺は14.18ha,岩船寺は5.5haの広さで歴史的な遺産と天然林が一体となり、歴史的風土が形成されました。
近鉄電車奈良駅からバス乗車しバス停、浄瑠璃寺口で降りて、浄瑠璃寺まで徒歩で歩いていくと、「ながおの阿弥陀如来」・・銘文で「徳冶二年(1307)4月29日 願主 僧行楽 立派な屋根石を持ち美しい蓮弁の台座を持った定印の阿弥陀如来坐像」と彫られてありました。

2009年1月29日 (木)

上品蓮台寺(じょうぽんれんだいじ)②「源頼i光朝臣」塚

Dscf0046 源頼光は平安時代の武将で、謡曲「土蜘蛛」でお馴染みです。
頼光は原因不明の熱病に臥している時に化身した土蜘蛛が襲ってきたので、頼光は名刀で切りつけました。
その時に家来達が駆けつけ、蜘蛛の跡を付けていくと「北野の後ろ」に塚が有り、そこで蜘蛛を退治したと言われています。

2009年1月28日 (水)

上品蓮台寺①本堂

Dscf0045 上品蓮台寺(京都市北区紫野、北大路バス停から5分)は、真言宗のお寺で、寺伝によりますと聖徳太子の創建と伝えられ、960年に宇多天皇の勅願により寛空和尚の再興の時に、現在の寺名になったとのこと。
以前は広大な伽藍を誇っていましたが、応仁の乱により焼失し、その後、戦国時代末期の文禄年間に性盛(せいしょう)上人が再興しました。
現在は3院が残っています。
境内は桜の園で、特に枝垂れ桜は見事な美しさを誇ります。

2009年1月27日 (火)

比賣(いちひめ)神社(女人厄除祈祷所)

Dscf0009_2 比賣(いちひめ)神社(女人厄除祈祷所)(河原町五条から下がった一筋目を西に入って左手に有ります。)は、795年に桓武天皇の勅命により鎮座したのが始まりで、1591年に現在地に変座しました。
女性の神様ばかりを祀っていますので、女性の守り神とされます。
病気平癒、良縁、幸運、安産子授けにご利益があると、多くの女性のお参りする姿が絶えません。
電車で言うなら、女性専用車両と言うところでしょうか。

2009年1月26日 (月)

長講堂(ちょうこうどう)

Dscf0008 長講堂は、1183年に後白河法皇が造営した仙洞御所(六条殿)の持仏堂で法華経を永遠に賛同し、阿弥陀仏を念じて三味境に入る道場と言う意味です。
1590年に現在地に移りました。
本堂には阿弥陀三尊像が祀られ、また御影堂(法皇殿)には法皇御尊像が安置されています。
共に重文に指定されています。

2009年1月25日 (日)

上徳寺⑤身代わり地蔵

Dscf0007 境内の中に、前回の世継地蔵の他に、災難・疫病などの身代わりとなり守護していただける地蔵様が祀られています。
身代わり地蔵というのは、ここだけでしょうか。

2009年1月24日 (土)

上徳寺④世継地蔵

Dscf0006 境内の地蔵堂には高さ2mの石地蔵を安置しています。
1656年に八幡の清水氏という人が夢に中に出てきた地蔵尊像を彫り、世継を祈念したところ、立派な子が授かったとか。
以来、「京のよつぎさん」と親しまれ、多くの信仰を集めてきました。
「元気な赤ちゃんが生まれますように」などと書かれた絵札が、多く奉納されています。

2009年1月23日 (金)

上徳寺③延命長寿のざくろ

Dscf0005 境内に、珍しい延命長寿の石榴(ザクロ)が植えられています。
そのいわれ、またお参りして口にできるかどうか定かではないのですが、興味が湧くところです。
またその近くには江戸時代の俳句師、堀内雲鼓の句碑が建てられています。

2009年1月22日 (木)

上徳寺②本堂

Dscf0004 本堂は、1753年に永観堂の祖師堂を移築しました。
堂内には江州(滋賀県)矢橋の鞭崎八幡宮から移した阿弥陀如来を祀っています。

2009年1月21日 (水)

上徳寺(世継地蔵)①山門

Dscf0002 上徳寺は、1603年、徳川家康によって建立されました。
古くから子授け、安産の信仰厚く「京のよつぎさん」と親しまれています。
その世継地蔵は、地蔵堂に祀られていて、子授け、安産祈願のよだれかけ絵馬が二重三重に掛けられています。
また地蔵堂の周りには「身代わり地蔵」「歯がため地蔵」「水子地蔵」などが祀られていて毎年2月8日の「世継地蔵尊大祭」には酒粕接待が行われます。

2009年1月20日 (火)

平等寺(因幡薬師)

Dscf0001 平等寺は因幡薬師とも呼ばれ、997年、因幡国(今の鳥取県)国司、橘行平が任を終えて帰京の途中、夢のお告げにより因幡の海中から引き揚げ、安置しておいた薬師如来像が行平の後を追って京都に飛来したと言われ、1003年、自宅を改造して、これを祀ったと伝えられます。
これが広まり、1171年、高倉天皇の命により「平等寺」と名づけられました。
写真の現在の本堂は、1868年の再建で、この薬師如来像は藤原時代の作で一木造りで重文に指定されています。
嵯峨釈迦堂の釈迦如来、信濃・善光寺の阿弥陀如来と共に、日本三大如来の一つに数えられています。

2009年1月19日 (月)

妙蓮寺③鐘楼

Dscf0022 妙蓮寺の鐘楼は1617年に建立されたもので、全国的にも数少ない袴腰型鐘楼で、江戸時代を代表する鐘楼として有名です。
たいそう、重厚なものと感じました。

2009年1月18日 (日)

妙蓮寺②十六羅漢庭

Dscf0023書院の前に16個の石を配した見事な庭園、十六羅漢庭があります。
桂離宮の造園を指図した妙蓮寺の僧、玉淵坊日首の作によります。
砂の白と石のコントラストが見事です。

2009年1月17日 (土)

妙蓮寺①山門

Dscf0020 妙蓮寺(京都市上京区寺之内通大宮東入ル、堀川寺之内バス停から徒歩3分)は1294年、日像上人が創建しました。
一時、衰退しましたが、1420年頃、日慶上人によって再興され、その後、1587年に現在地に移転しました。
書院の庭園も有名ですが、寺宝も数多く、伏見天皇御宸筆の重文・法華経、後深草天皇御宸翰(重文)、本阿弥光悦写筆の重文・立正安国論、絵画も長谷川等伯一派による重文・襖絵や丸山応挙、海北友松「椿図」など、見事な絵画等を有しています。
また近年、松尾一切経が発見され、三千余巻が重文となりました。
宝蔵庫は毎年9月第2週の3日間、開放されます。
庭園も良く、百合、妙蓮寺椿、芙蓉、モクレンや10月に咲く御会式桜(おえしきさくら)など、四季折々に美しい花々を咲かせます。
写真の山門は1818年に禁裏より拝領したものとか。

2009年1月16日 (金)

千本えんま堂

Dscf0019 千本えんま堂(引接寺)(京都市上京区千本鞍馬口下ル閻魔前町、乾流隆校前バス停から徒歩2分)は、平安時代前期、昼は官僚でありながら夜になると、六道珍皇寺の「死の六道」から冥土に入って閻魔大王に仕え、朝には清涼寺の「生の六道」から現世に戻っていたと言われる人物、小野篁(おのたかむら)を祀ったのが始まり。
その後、1017年に定覚上人が衆上を極楽浄土に導く道場として、正式名称が「引接寺」となりました。
お堂の中に本尊の閻魔大王が祀られています。
また毎年5月1~4日に「」千年えんま堂大念仏狂言が(壬生寺、清涼寺と並ぶ京都三大念仏狂言)が行われるところとして有名です。

2009年1月15日 (木)

源光庵⑤庭園

Dscf0013 角窓、丸窓を通しての見事な庭園を鑑賞することは、趣のあることです。
二つのキャンバスに描かれて絵画を見るようです。
清らかな庭に咲く草花、新緑、紅葉が見ごたえがありますが、中でも松の枝ぶりが見事でした。

2009年1月14日 (水)

源光庵④丸窓

Dscf0012 前回の角窓に比して、丸窓は「悟りの窓」とか。
また円通の心、それは、なにものにもとらわれない自由な魂というべきでしょうか。そのを表しています。
形によって世界を感じる、まさに禅の心得でしょうか。

2009年1月12日 (月)

源光庵③角窓

Dscf0010 源光庵には、角窓と丸窓の2タイプがあり、それぞれが意味合いがあります。
その角窓は「迷いの窓」を表しているとか。
また人間の一生を顧みて生老病死、四苦八苦と言う世界を示唆しているとのこと。
明日は丸窓を。

2009年1月11日 (日)

源光庵②本堂

Dscf0014

本堂は1694年に建立されました。
本尊は釈迦牟尼仏です。本堂西に安置している霊芝観世音は広く信仰され、開運にご利益があります。
堂の中に入ると江戸中期の画家、山口雪渓の山水画には、目を引き付けられます。また廊下の天井は伏見城で自刃して果てた徳川方の武将、鳥居元忠ら兵士の血染めの天井で、その霊を供養しています。

2009年1月10日 (土)

源光庵①山門

Dscf0008 源光庵(京都市北区鷹峰北鷹峰町、バス鷹峰源光庵前停留所からすぐ)は、1346年に大徳寺の高僧、徹翁義享(てっとうぎこう)が開創しました。
さらに江戸時代中期に卍山道白(まんざんどうはく)が再興しました。
ここは本堂に角窓と丸窓があり、その窓から鑑賞する庭園は素晴らしいものです。また西の谷の「稚児井戸」は660年前より湧き出ており、多くの人の水飢饉から救ったといわれています。

2009年1月 8日 (木)

月桂冠大倉記念館

Dscf0005 京都・伏見は江戸時代には「伏水(ふしみ)」と書かれました。
伏流水が湧き出す水辺の郷。この水を利用して酒造りが盛んになり、現在のように酒蔵が並ぶ町になりました。
1901年に京阪電車の伏見桃山駅周辺に酒倉を利用して資料館「月桂冠大倉記念館」が造られました。
明治から昭和にかけての酒造りの道具などを公開展示しています。
あたりを散策すると、酒の香りが立ち込んでほろ酔い機嫌になりますよ。

2009年1月 7日 (水)

十石舟

Dscf0002_2 十石舟(三十石舟)は、天下を握った徳川家康が大阪と京都を結ぶ交通の要所として、伏見を整備し水運を利用した小船に由来します。
大阪から三十石舟が人や物を積んで淀川をさかのぼり、中継地の伏見で十石舟に積み替えて、高瀬川を経て京都の中心地へ向かうか、陸路の伏見街道を運んだとか。今では、ゆっくりと観光できます。
京阪電車の伏見桃山駅から直ぐ。
時代劇のロケシーンによく出てきますが、たいそう情緒のある舟観光を楽しむことが出来ます。

2009年1月 6日 (火)

嵯峨・鳥居本

Dscf0081 嵐山・嵯峨野の西北に愛宕山の麓に位置し、延長650mにわたる地域は、嵯峨鳥居本伝統的建物群保存地区(国の指定)です。
愛宕街道沿いに野仏が並ぶ三叉路~愛宕神社鳥居に掛けて古風な家々が並んでいます。
この町並みは室町時代から開けていました。写真のように瓦葺き、むしこ窓、京格子、ばったり床几などを設けて伝統的町家風の建物が並んでいて、情緒にあふれています。
皆さんも嵯峨野に行かれたら、ぜひ寄ってみたらいかがでしょう。

2009年1月 5日 (月)

(大原)宝泉院・襖からの風景

Dscf0060 宝泉院は、勝林院の子院で、平安時代からの歴史を有します。
現存の書院は江戸中期の再建と伝わり、廊下は鳥居元忠と家臣らの血痕が残っている血天井です。
書院の西は盤桓園という庭があり、大原の山々を望むことが出来、また東側には、樹齢700年を誇る五葉松が植えられています。
写真のように共に柱と柱の間を額に見立てて眺めると、たいそう趣があります。
まるで座禅をしているこのような境地になり、大原の風情を満喫できます。

2009年1月 4日 (日)

(大原)実光院・旧普賢庭園

Dscf0054 実光院は、昨日紹介しました隣の勝林院の子院で、本尊は地蔵菩薩像です。
客殿の欄間の三十六詩仙画像は江戸中期の狩野派によります。
また床の間などに声明研究のためにと、楽器が陳列してあります。
ここには殿の南側に旧普賢院庭園「契心園(けいしんえん)」があります。
江戸中期に造られたもので、心字池と築山を配した池泉回遊式庭園で、澄んだ水音が爽やかです。
池のこちらを俗世間、向こう側を仏の浄土に見立てています。
また4月にはしゃくなげが美しく咲き誇ります。

2009年1月 3日 (土)

大原・勝林院

Dscf0055 勝林院(有名な三千院から徒歩すぐ)は、1013年、寂源上人が、天台声明を伝承するために建立したもので、天台声明の根本道場です。
ここは1168年、時の天台宗座主、顕真(けんしん)と法然上人が、専修念仏について、歴史に残る宗論を交わした「大原問答」が行われたことで有名です。
また重文の石造・法筐印塔も建てられています。
写真の本堂は江戸時代中期、1777年に再建されたもので、瓦葺の美しい形を持った本堂です。
本尊は阿弥陀如来で、仏像の手から五色の綱が垂れて、これに触れると阿弥陀如来と結縁が得られると言われています。 
また境内の梵鐘は、藤原時代の作で、重要文化財に指定され、現在も大晦日には、除夜の鐘を撞いています。

2009年1月 2日 (金)

粟田神社②恵比寿神社

Dscf0036 恵比寿神社は、本殿の横にあり、源義経が牛若丸当時に、奥州に出向する際に源氏再興の祈願をされたと伝えられています。
堂内には、現存する最古の寄木造り恵比寿神像が祀られています。
この像は1月9日から11日の出世恵比寿祭で特別公開されます。

2009年1月 1日 (木)

粟田神社①拝殿・本殿

Dscf0035 粟田神社(京都市東山区粟田口鍛冶町、地下鉄東西線東山駅から7分)は、京都の七口と言う都への出入り口、その一つ、粟田口の前にあります。
寺伝によりますと、清和天皇の876年に創建され、その後、1113~8年に再建されました。
しかし応仁の乱に焼失し、1500年に吉田兼倶に再建され、江戸時代には八坂神社と同じ牛頭天王を祀っていました。
地元の人からは疫病封じとして、多くの人の信仰をあつめています。
また毎年、10月に行われる「粟田祭」は、奇祭として有名です。
現存する本殿は1703年に建立されたものとして、貴重な建築様式を今に伝えています。
また幣殿、拝殿は1823年に建てられたと言う。

2008年12月31日 (水)

安井金比羅宮④縁切り・縁結び碑

Dscf0032 祭神の崇徳天皇は、讃岐の地で亡くなりましたが、寵愛した烏丸(からすま)殿との別れを悲しみ、思い、もろもろの一切を断って祈願されたとか。
その故事にちなんで、江戸時代から、男女の縁を妨げる“あらゆる悪縁を切り良縁を結ぶ”社として知られます。
ここでは、碑の表から裏へ穴を通って悪縁を絶ち、次いで裏から表へ穴を通って良縁を結び、最後に形代を碑に貼って祈願します。
この碑は願いことを書いた形代(かたしろ・願い事のお札)で、覆い尽くされています。山のように盛り上がっているのは、全部、祈願した形代です。
皆さんもいかがですか。

2008年12月30日 (火)

安井金比羅宮③久志塚

Dscf0033 境内には、珍しい「久志塚」が有ります。
髪に付ける櫛にちなんで(どういう訳で久志と名付けているのかは不明ですが)古代から現在まで、各時代の髪型を結ってきた櫛を供養し、また9月第4週(これもくしにちなんで)には、それぞれの髪型、当時の衣装に身を包んでの時代行列が繰り広げられます。

2008年12月29日 (月)

安井金比羅宮②絵馬館

Dscf0031 宮には絵馬館があり、多くの絵馬が奉納されています。
その多くは江戸後期のものが多く、代表的なものとして、江村春甫「竜馬心猿図」、山口素閏「双馬図」、日中日華「巴御前図」などがあります。
また館の2階には、現代の著名人、手塚治虫、藤山寛美、桂文珍などの作品500点余りも展示されています。

2008年12月28日 (日)

安井金比羅宮①本殿

Dscf0030 安井金比羅宮(京都市東山区、建仁寺から徒歩3分、東山安井バス停からすぐ)の祭神は1156年の保元の乱で讃岐地に流された崇徳天皇、讃岐の金比羅宮から勧請した大物主神、平安時代の武将で源頼政です。
ご承知のとおり、金比羅様であり交通の神様として多くの人の信仰を集めてきました。
境内には、珍しい金比羅絵馬館もあります。
また平安時代の村上天皇お手植えの「安井の藤」がその季節に美しい花を咲かせます。
東大路に面して石鳥居があり、石畳の参道から写真の本殿へと続いています。

2008年12月27日 (土)

六孫王神社

Dscf0027 六孫王神社(京都市南区壬生通八条上ル八条町)は、清和源氏発祥の宮として名高い神社です。
唐門から本殿・拝殿・・石橋を渡ると、正面に唐門があり、拝殿・本殿が並び立っています。
祭神として、六孫王大神、清和天皇の孫、平安時代の源経基(つねもと)を祀っています。
経基は平の将門の乱・藤原純友の乱で功績のあった人物で、その子孫には源頼朝・義経、木曽義仲など有名な武将がいます。
子孫繁栄を遺言したことから、今でも多くの人がお参りしています。
境内には神龍池があり、ここには経基の霊が棲んでいるとの言い伝えがあります。池の畔には八重桜と緑の桜・御衣黄が花を付けます。

2008年12月26日 (金)

上御霊(かみごりょう)神社

Dscf0018_2 上御霊神社には祭神に崇道天皇、井上皇太后らが祀られています。
崇道天皇は桓武天皇と同母・高野新笠(にいがさ)の子、早良親王のことで、藤原種継の暗殺に関与したと言う無実の罪で失脚し無念のうちに没したとされます。
この怨霊の祟りで京の都に疫病・洪水などが起こり、境内は御霊の森と言われました。
室町時代に、ここから応仁の乱が始まったのもその因縁と言われています。
この社の前に厄病除けとして重宝にされている唐板煎餅を売る水田玉雲堂というお店があります。
また境内には俳諧の巨匠、芭蕉や去来らが1690年12月にここに参詣して詠んだ句碑が建てられています。

2008年12月25日 (木)

新撰組・別隊・屯所跡

Dscf0020 月真院は高台寺下の「寧々の道」に沿って有ります。
高台寺の塔頭で、その門前に「御陵衛士屯所跡」と記された石柱が立てられています。
1867年、新撰組の伊東甲子太郎は隊長の近藤勇と意見が合わず、ここに別の隊を作りました。
しかし、この年の11月、伊東たちは近藤勇に謀殺され、この屯所は閉じることになりました。

2008年12月23日 (火)

上賀茂地区・社家の町並み

Dscf0038_2

京都・上賀茂地区の社家の町並みは、洛北・上賀茂神社すぐ南に有ります。
上賀茂神社に境内から流れて来たせせらぎは、明神川と名前と変えて爽やかな流れの音を響かせ、東側の古風な土塀に囲まれた家々の間を流れていきます。
この地区は「上賀茂伝統的建物群保存地区」に指定された「社家の道」と言い、神職の人たちの屋敷で切妻平屋建て、波状が美しい桟瓦葺きの家、現在30軒あまりが並んでいます。
この中で西村家別邸が公開され、注目は庭園で、これは1181年、上賀茂神社の当時の神主、藤木重保が作庭されたもので、曲水の宴を行う小川や神山の降臨石を象った石組などが見ごたえがあります。
また、この地区は、家と道をつなぐ石橋がマッチしたものになって風景の良さを引き出しています。
京都でも歩いてみたい道の一つと感じました。

2008年12月21日 (日)

出雲の阿国像(四条河原町)

Dscf0048 出雲の阿国(四条河原町)は、1603年、先鋭的な男装した「歌舞伎」を披露しました。
関が原の合戦ですさんだ世に明るい話題で一世を風靡したとか。
江戸時代に入って女人歌舞伎は禁止され、男が女形を演じるようになり、阿国は出雲に帰り、尼僧になって生涯を終えました。

2008年12月20日 (土)

梨の木神社・染井の井戸

Dscf0014 梨の木神社は京都御苑の東側、寺町通に並行してあり、九月頃には境内一杯に萩の花が咲き乱れ、京の萩の宮として有名です。
境内には参道の奥には京都三名水の一つ「染井の井戸」があります。
ここは平安時代の摂政 藤原良房の屋敷があった所で、宮中の染所の水に使われたので、この名があります。

2008年12月18日 (木)

下御霊神社

Dscf0010 下御霊(しもごりょう)神社は、社伝によると809年、不運のうちに亡くなった桓武天皇の皇子、伊予親王とその母 藤原吉子を慰めるために839年に創建されたとか。
はじめ上京区にありましたが、1590年に当地に移転されました。
古来から産土神と崇敬されてきました。
現在の社殿(写真)は、1788年の大火の後、1791年に仮皇居の内待所を移建したもので、上御霊神社と同じで崇道天皇(早良親王)ら八座が、祀られています。
また表門は旧建礼門院を移したもの、切妻造りの幣殿などが江戸時代の建築様式の素晴らしさを今に伝えています

2008年12月17日 (水)

矢田寺(冥土への送り鐘)

Dscf0007 矢田寺(寺町通三条上ル)は、金剛山矢田寺と称する西山浄土宗のお寺です。
通称矢田地蔵の名で親しまれてきましたが、寺伝によると平安時代に大和の国(奈良県)、矢田寺の別院として(下京区)五条坊内に創建されたとのこと。
1578年、現在地に移転されました。
本堂に安置されている地蔵菩薩は、開山の満慶(満米)上人が冥土に行き、出会った地蔵菩薩の姿を彫らせたものと言われ、俗に「代受苦地蔵」と呼ばれ、地獄で亡者を救う地蔵として人々の信仰を集めています。
当寺の梵鐘は六道珍皇寺の「迎え鐘」に対して、「送り鐘」と言われ、死者の霊を迷わず冥土に送らせる鐘として1年を通じて、多くの人が訪れています。

2008年12月16日 (火)

瑞泉寺

Dscf0005 瑞泉寺は、三条河原町バス停から、高瀬川沿いに有ります。
このお寺は、関白秀吉の甥 豊臣秀次一族の菩提を弔うために、立空上人が建立されました。
瑞泉寺と言う名は、秀次の法名から由来しています。
英次は秀吉に嫡男 秀頼が生まれた後、1595年7月に高野山で自害させられました。
翌年8月に三条河原で秀次の妻、幼児ら39人が死刑に処せられた。
時を経て1611年、京の豪商 角倉了以がその墓石を発見し、当地に移して塚を再建し堂宇を建立したのが起こり。
開山は立空上人です。
写真の本堂には阿弥陀如来を安置しています。
また境内には、先に記した39人と秀次ゆかりの小姓など10人を加えた数の犠牲者の供養塔があります。

2008年12月15日 (月)

池田屋騒動址

Dscf0003 池田屋騒動址は三条河原町通直ぐに有り、当時、池田屋は坂本竜馬ら勤皇の志士たちが利用していた宿でした。
1864年旧暦6月5日、祇園祭宵乃山の時、新撰組の近藤勇隊長らは、三条小橋のそばにある「池田屋」に勤皇の志士が集結していた事を知り、突然と切り込みました。
居合わせた勤皇の志士約30人と壮烈な戦いとなり、それは2時間に及んだとか。
今は140年前の出来事を語り継ぐように、址の碑が建てられています。

2008年12月14日 (日)

寺田屋事変の跡

Dscf0260 寺田屋は、京阪電車伏見桃山駅から歩いて5分程の所にあります。
幕末当時の宿だった所ですが、1862年4月、尊王攘夷派の先鋒、薩摩藩士9名が殺傷された寺田屋事変の舞台になった場所です。
2階には現在も「竜馬の部屋」として公開されています。
今は落ち着いた、京らしいたたずまいを感じさせる建物です。

2008年12月13日 (土)

坂本竜馬寓居の跡

Dscf0002 坂本竜馬寓居の跡(三条河原町下るすぐ高瀬川を右に入る)は、三条通から南に一筋入った小路に、「酢屋」と言う店があり、坂本竜馬寓居の跡と表示されています。
材木商 酢屋嘉兵衛は新撰組から、竜馬を隊長とする約50人で構成する海援隊士をかくまっていました。
ここを本拠に、竜馬は、慶応3年6月13日から京都入りを数度、繰り返し、遂に10月14日、大政奉還が行われました。

2008年12月11日 (木)

毘沙門堂の八重椿

Dscf0079 前回で桜の素晴らしさについてご説明しましたが、訪れた時に椿が見事な花を咲かせていました。
八重の椿が珍しかったので写真に撮りました。

2008年12月10日 (水)

毘沙門堂

Dscf0078 毘沙門堂(京都市山科区安朱稲荷山町15、JR・京阪・地下鉄東西線の山科駅から北へ徒歩15分)の創建は洛中に703年という古刹です。
現存するのは1665年に再建されたもので、京都七福神の一つ、毘沙門天を祀っています。
その後、江戸中期に門跡寺院となりました。
後西天皇の宮殿を賜った宸殿(写真)には、狩野益信の描いた襖絵は見事です。
また桜の名所でもあり、毘沙門桜、般若桜と呼ばれる枝垂れ桜は有名です。

2008年12月 9日 (火)

大善寺

Dscf0064 大善寺(京都市伏見区桃山西24、JR・京阪電鉄六地蔵駅から10分六地蔵交差点すぐ)は、705年に藤原鎌足の子、定慧の創建と伝えられる古刹です。
古くから、この地域は京・山科・宇治・奈良に向かう分岐点で交通の要所でありました。
平安時代に小野篁により造られた六体の地蔵の内、一つが平清盛の命により、この街道入口に六角堂を建て安置されたと伝えられました。
地蔵を納めた西光法師が最初の六地蔵参りをされたとの事。
堂に安置されている地蔵菩薩立像の白く円満で慈しみに満ちたお顔を拝見する事が出来ます。
また近くには京都最大の前方後円墳とされる黄金塚1号・2号もあります。

2008年12月 8日 (月)

恋塚寺②法然上人の石板

Dscf0051 袈裟御前の墓と伝えられる石塔の傍らに六号名号石は法然上人の筆で、文覚上人が建てた石板が建てられています。
これは人倫の大道を教えるものとして有名で、古来より詩歌、謡曲などで知られています。

2008年12月 7日 (日)

恋塚寺①袈裟御前の石塔

Dscf0052 恋塚寺(京都市伏見区下鳥羽城之越町132、京阪・近鉄電車竹田駅から西へ徒歩2キロ)は平安末期に生きた容姿端麗で名高い、袈裟御前ゆかりの古刹です。
寺伝では平安末期に、北面の武士であった遠藤盛遠が渡辺源渡の妻、袈裟御前に横恋慕し誤って彼女を殺してしまう。
盛遠はこの非道を深く恥じ、出家して文覚と名乗り彼女の菩提を弔ったとか。
本堂には、阿弥陀如来、袈裟御前・源渡・文覚上人の木像が安置されています。
また境内には、写真の恋塚と呼ばれる袈裟御前の墓と伝えられる石塔が立てられています。

2008年12月 6日 (土)

欣浄寺

Dscf0054 欣浄寺(京都市伏見区西桝屋町1038、京阪電車・墨染駅南5分)は、曹洞宗のお寺で、年平安時代の歌人、小野小町との悲恋で有名な深草少将の屋敷があった所と言われています。
少将が小町(隋心院ー詳しくは歴史を訪ねて・京都)に会いに百夜通った道の他、二人の塚、墨染井と呼ばれる井戸、小町姿見の池が残されて、当時の面影を偲ぶ雰囲気が漂っています。
但し、悲恋の道であったので、この道は通ると願いは叶わないと言われています。その後、寺伝によると1230~1233年に、福井・永平寺を開山した道元禅師がこの深草で教化に努めるために再建したとのこと。
本堂には、伏見の大仏と呼ばれる丈六のルシャナ・ブツをはじめ阿弥陀如来や道元禅師像をお祀りしています。
(本堂に書かれている電話をかけると拝観可)。

2008年12月 5日 (金)

北向山不動院

Dscf0041 北向山不動院(京都市伏見区、地下鉄烏丸線または近鉄電車竹田駅から徒歩10分)は、天台宗のお寺で1130年に鳥羽上皇の勅願で創建。
本尊は平安後期の作、重文・不動明王で京の王城警護のために北向きに安置されたので、北向不動院と名付けられました。
本尊は1月16日のみ開帳されます。
写真の本堂は1712年に東山天皇の旧殿を移築したもので、梵鐘は1694年に造られ二本済深親王の銘があります。
社務所には伊藤博文、山県有朋、大隈重信などの歴代首相や勝海舟らの寄付札が掲げられていて、寺院の重みを感じました。
住職が優しく説明していただき良く理解できました。

2008年12月 4日 (木)

三宅八幡宮

Dscf0019 三宅八幡宮(京都市左京区上高野三宅町22、比叡電車鞍馬線八幡前駅から徒歩3分)の辺りは小野郷と呼ばれ小野妹子など小野氏が居住していました。
妹子が隋に渡る途中で、筑紫で病を患ったが宇佐八幡に祈願したところ平癒したとか。
帰朝後、宇佐八幡に勧請したのが起こりと伝えられています。
東方には、677年の年号が刻まれている小野毛人の石棺と墓誌(国宝)が発掘されました。
俗に「虫八幡」と言い子どものしゃく・虫除けにご利益があると厚い信仰を集めています。
境内には、祭神のおつかいの鳩を形どった「鳩餅」が売られている。
また境内には遠く比叡山の鵜ヶ谷から導かれた水が今も湧き出しています。

2008年12月 3日 (水)

養源院

Dscf0014 養源院(七条・三十三間堂東隣)は、豊臣秀吉の側室、淀君が父、浅井長政の追善供養のため,1594年に建立しました。
養源院の名は長政の法号から。
すぐに焼失したが、1621年に徳川秀忠夫人の崇源院(淀君の妹)が再建しました。
本堂は左甚五郎によるウグイス張りで、また天井は伏見城の遺構を移築したもので、見ると徳川家康の部下、鳥居元忠らの抗戦、自決の血天井が生々しいです。
その他、俵屋宗達による重文の襖絵「松図」(12面)や杉戸絵「唐獅子、白象、麒麟の図(8面)の素晴らしい作品が納められています。
さらに仏間には阿弥陀如来を中に、左に浅井長政、右に崇源院らの位牌が祀られています。
江戸時代の建築様式を今に伝え、また庭園は枯滝石組みを中心に石橋を配するなど堅実な作風を残しています

2008年12月 2日 (火)

島原・角屋

Dscf0010 島原・角屋(京都市下京区西新屋敷揚屋町32、島原口バス停から徒歩5分)は、花街の風情を味わうことができます。
島原はわが国最初の花街。
当初は二条柳馬場にあり、その後六条三筋町、1641年にこの地に移ったとの事。
角屋は島原開基以来の揚屋(置屋から太夫・芸妓を呼んで遊宴を行う所)。
この建物唯一の遺構で重要文化財に指定されています。
幕末時代には、勤皇志士や商人との会議が持たれたり、社交界の場でありました。開館時期は春・秋のみ、2階は要申込みなので、要注意です。

2008年12月 1日 (月)

大原野神社

Dscf0194 大原野神社(京都市西京区大原野、阪急電車京都線東向日駅からバス南春日町行き、約20分)
このあたり一帯は山城地方でも古くから開け、1万年以上も前の遺物が発見されています。
桓武天皇が長岡京に遷都してからも、辺りで鷹狩りを行っていたり、その影響で藤原氏が春日大社の御分霊を移したのが始まりとか。
平安時代に社殿を整え隆盛を極めたが応仁の乱により焼失しました。
現存の建物は江戸時代初期に後水尾天皇により、再建されたもの。
境内には桜・楓・ツツジの刈り込みがあり、また初夏には睡蓮が咲き誇ります。
神事は4月初めの御弓祭、御田刈祭が有名です。

2008年11月30日 (日)

大原の里

Dscf0070 存知のように、京都の北、高野川から八瀬を過ぎて山里の地に大原があります。
国道367号線は別名を若狭街道とも呼ばれ、若狭の海産物が運ばれた道。
のどかな田園の地に三千院、寂光院などがあり、古き良き昔の日本の雰囲気が漂っています。

2008年11月29日 (土)

平野神社

Dscf0844 平野神社(北区平野町、北野白梅町バス停から徒歩7分)は、794年、桓武天皇が平安京に遷都の時、この地に鎮座しました。
朱塗りの大鳥居をくぐると参道が拝殿、本殿へと延びています。
重文・本殿は、左右に二殿ずつが並ぶ平野造りと呼ばれる建築様式です。
また境内は桜の名所として知られ45種類、500本が植えられていて、春には多くの人で賑わいます。

2008年11月27日 (木)

琵琶湖疏水記念館

Dscf0669 琵琶湖疏水記念館は(地下鉄東西線蹴上駅から徒歩5分)は、明治に、都が東京に移ってさびれていく京都に活気と繁栄をと、琵琶湖の水を大津市から京都・蹴上に引く事業が計画され明治23年完成しました。
現在も、蹴上から南禅寺境内の水路閣から哲学の道を流れています。
館内には当時の図面、絵図、工事の苦労についての資料が展示されています。
また疎水を貯めて噴水を設けてあり、観覧席では家族連れなどがくつろぎ、憩いのひと時を過ごしていました。

2008年11月26日 (水)

南禅寺裏・野村碧雲荘辺り

Dscf0672 南禅寺道から南側、寺にかかる手前の野村碧雲荘あたりは古風な家並み、静かに流れるせせらぎ、豊かに茂る緑の木々など、京都らしい雰囲気が満喫できます。
散策には絶好の場所です。

2008年11月25日 (火)

清滝川あたり(西明寺から神護寺へ)

Dscf0600 清滝川から西明寺に入るところ、絶景の景色に思わず見とれてしまいます。
せせらぎの水の音、鳥のさえずり、緑の木や葉、青い空など自然の素晴らしさを満喫できます。
またこの辺りは、ご存知のとおり三尾(栂尾・高山寺、高尾・神護寺、槇尾・西明寺)の紅葉の見事さで有名です。

2008年11月24日 (月)

無隣庵

Dscf0479 無鄰庵は明治・大正の元老、山県有朋が建てた別荘です。
見事な庭園は平安神宮円山公園などを手がけた小川治兵衛が作庭しました。
庭園は、東山を借景し、琵琶湖疎水の水を引き入れています。
その水は滝から池へと流れて、せせらぎとなり、また樹木や芝生を配した地泉周遊式庭園で、絶妙の庭園であり、国の名勝に指定されています。
また木造二階建ての母屋・茶室の建物も素晴らしく、ここで明治30年、山県、伊藤博文、小村寿太郎などが集まり、わが国外交方針が話し合われたと言う。
(京都市左京区南禅寺草川町、地下鉄東西線蹴り上げ駅または動物園バス停から徒歩5分)

2008年11月23日 (日)

法観寺・八坂の塔

Dscf0466 三年坂から二年坂と八坂通の分岐点にさしかかると、本瓦葺の八坂塔が見えます。
テレビ・映画によく登場するのでご存知でしょうが、ここは飛鳥時代、聖徳太子により創建されたといわれる由緒あるお寺。
現存する塔は、1440年、足利義教が創建しました。
五重塔の高さは46mの堂々たる高さを誇り、東山のシンボルでもあります。

2008年11月22日 (土)

岡崎公園

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岡崎公園は平安神宮をはじめ市美術館、国立近代美術館などの文化施設、市動物園などが集まり、カルチャゾーンになっています。
写真のように、周囲は琵琶湖疏水が流れ、東山を望み、それが借景となって赴きもあり落ち着いた雰囲気が漂っています。

2008年11月21日 (金)

嵐山の竹林

Dscf0385 京都は竹林の宝庫と言えます。風が爽やかに吹き、さわさわと竹が揺れる嵐山を散策していると、素晴らしい風情を味わうことができます。特に野宮神社から大河内山荘への小路がお勧めです。

2008年11月19日 (水)

祗園・白川南通り

Dscf0358 京都一の繁華街、祇園花見小路と大和大路に囲まれた白川南通。
白川のせせらぎ、枝垂れ桜・柳や花々、京伝統の町家建築である、お茶屋を眺めながら散策すると風趣は最高。
丁度、しだれ桜の花が咲くところに、「ゴンドラの唄」で有名な吉井勇の文学碑があります。

2008年11月18日 (火)

石塀小路

Dscf0356 石塀小路は下河原町通と通称「ねねの道」を結ぶ、約300mで観光客の散策スポットとして賑わっています。
両側に旅館・割烹や町家が並び、小路に敷き詰めた石畳をそぞろ歩くと、このうえない風情が味わえます。

2008年11月17日 (月)

高瀬川・三条木屋町あたり

Dscf0348 高瀬川はご存知のように、およそ370年ほど前に、京の豪商、角倉了以によって造られました。
鴨川の水を引いて木屋町通りから竹田を経て伏見までの約10キロに及びます。
森鴎外や水上勉などの文豪の小説に登場する、高瀬川。
特に、ここ木屋町あたりは、清流の中、落ち葉がさらさらと流れ、小鳥が水とたわむれる姿も見ることができ、たいそう風情があります。

2008年11月16日 (日)

誠心院④二十五菩薩

Dscf0050 写真の二十五菩薩は、阿弥陀如来を中心に勢至菩薩などが並んでいます。
西方極楽浄土・阿弥陀仏が念仏の行者を迎える時に、25菩薩を従えると言う十往生絵の教えによるもの。
豊臣秀吉により、宇治田原城主 山口塵芥が寄進しました。

2008年11月14日 (金)

誠心院②本堂

Dscf0048 誠心院の本堂は小御堂と言われ、本尊・阿弥陀如来像をはじめ、和泉式部また時の関白で絶大な権勢を誇った藤原道長の像を安置しています。

2008年11月13日 (木)

誠心院①山門

Dscf0047 誠心院は、真言宗に属しています。
ここは、平安時代に才色兼備の女流歌人である和泉式部ゆかりのお寺として有名です。
寺伝によると,1025年に時の関白 藤原道長の娘 藤原彰子に仕えていた和泉式部のために法成寺の一庵を与えたのが始まりとか。
本堂の傍らには式部が生前愛したと言う梅の木「軒端の梅」が植えられています。

2008年11月12日 (水)

曲水の宴(城南宮にて)

Dscf0126 曲水の宴は、 城南宮・平安の庭で4月29日と11月3日に行われる行事です。
雅楽の音色が流れる中を、男は烏帽子に狩衣、女は小うちぎ姿の平安衣装に身を包んだ歌人が、水に浮かべた舟に収められた歌題が流れて来ると、見事に歌を披露するもの。
王朝文化を偲ばせる、いにしえの行事です。

2008年11月11日 (火)

貴船川(鞍馬寺から貴船神社へ)

Dscf0058 京都・三条から叡山電鉄に乗ること30分あたり、霊験あらたかな鞍馬山にさしかかります。
平安京の王城守護の道場であった歴史を持つ鞍馬寺、有名な火祭りの行われる由岐神社、さらに義経供養塔、本殿金堂、杉の大樹がそびえ立つ大杉権現、奥の院にある魔王殿を回りました。
ここはハイキングコースになっていて、山を下って貴船神社にたどり着きます。
勿論逆コースも可能です。
貴船川のせせらぎ、自然の宝庫とも言える地で、自然の素晴らしさを満喫しました。
特、5月から9月は川床が開催され、川の流れを見ながら、鮎や鯉料理に味わうことができます。
(写真は貴船川のせせらぎ)

2008年11月10日 (月)

清閑寺⑥要石

Dscf0069 庭前には大きな石が。
「願いあらば あゆみをはこべ清閑寺 庭に誓いの要石あり」と詠まれた要石で、ここから京都の町が扇を開いたように一望でき、石の位置が扇の要の位置になるところから、そう呼ばれたとか。
この石に願いをたてると叶うという信仰が生まれました。
その左には、聖武天皇の時代に土器を焼いた、清閑寺窯発祥の地との立て札。
江戸時代に寺の僧、宗伯が開いたとのこと。
ここは素晴らしい景色を望めるが、悲恋の場であっただけに、もの悲しい雰囲気が漂っていると感じたのは自分だけだろうか。

2008年11月 9日 (日)

清閑寺⑤清輝「昔語り」下絵

Dscf0067 山門の左には1892年に、画家、黒田清輝が小督悲恋の物語を聞き、歌の中山道を背景に描いた下絵が掲示されています。
絵画界の巨匠も、悲恋の物語に感動したのでしょう。
原画は数年後に焼失してしまったので、この作品は貴重なものと言えます。

2008年11月 8日 (土)

清閑寺④悲恋・小督の供養塔

Dscf0072 山門の右には、平安時代に生きた悲恋のヒロイン、小督の宝筐印塔がもの悲しく建っています。
小督局は高倉天皇のちょう愛を受けました。しかし妻の建礼門院が清盛の娘であったので、小督は嵯峨に身を隠したのは有名です。
しかし帝の気持ちは変わらず、1181年に亡くなり、この寺に埋葬されました。
帝の御陵と小督の墓は並んでいる。

2008年11月 7日 (金)

清閑寺③密議の場・石碑

Dscf0068 本堂の左には、ここで西郷隆盛と清水寺成就院の住職、月照上人が1858年に水戸藩の都落ちを計画し、その謀議を行いましたが、その記念の石碑があります。
幕末の生々しさが伝わって来ました。

2008年11月 6日 (木)

清閑寺②本堂

Dscf0071 清閑寺の本堂には、十一面千手観世音菩薩が祀られています。
菅原道真の作と伝えられ、学問の観音さまと人気があります。
この観音様が女性に化身して修行の僧を戒めた歌の故事から、別名「歌中山」と呼ばれています。

2008年11月 5日 (水)

清閑寺①山門

Dscf0065 清閑寺は、歌の中山清閑寺と言われ、真言宗智山派のお寺です。
802年に紹継法師の創建で古典「平家物語」に書かれている古刹です。
小督局が平清盛により尼にさせられた所と言われています。
小督は高倉天皇のちょう愛を受けましたが、高倉天皇の宮、建礼門院が清盛の娘であったので、嵯峨に身を隠したのは有名。
これを元に作られたのが謡曲「小督」です。
しかし帝の気持ちは変わらず、1181年に亡くなり、この寺に埋葬されました。
帝の御陵と小督の墓は並んでいます。
山号の「歌の中山」は清水寺から清閑寺に至る山路を言います。
写真の参道から山門に入るまで天に昇る感じ。
中に入ると苔が美しい。
青々とした空、緑の木々や山々がナントも言えない風景を創りだしています。
風を受けながら佇んでいると胸が痛むほど、厳かな気になります。

2008年11月 4日 (火)

安楽寿院⑧大師堂

Dscf0058 安楽寿院の最後は大師堂です。
大師堂は1596年の建立で、弘法大師が祀られていて、400年余りの歴史を刻んでいます。
その左には三宝荒神社。火難消除の神として厚い信仰を集めています。

2008年11月 3日 (月)

安楽寿院⑦石造五重塔

Dscf0061 寿院の西側に離れて重文・石造五重塔があります。
如法経塚と呼ばれ1287年の年号が刻まれ、平安時代の歴史を今に伝えている。
高さ約3mの堂々としたものです。

2008年11月 2日 (日)

安楽寿院⑥三如来石仏

Dscf0059 大師堂の奥に三如来石仏があります。
平安時代の作で釈迦如来三尊、阿弥陀如来三尊(京都国立博物館に寄託)、薬師三尊。
身近にこのような歴史を感じることが出来るのは素晴らしい事です。
凝灰岩で造られていますが、鑑賞していると胸が締まる思いがします。

2008年11月 1日 (土)

安楽寿院⑤寿院南陵

Dscf0044 寿院南陵は、第1回で記しましたように、離宮の東殿として、1139年、五重塔が造られ、鳥羽上皇宸筆の法華経をその下に納めて、本御塔としました。
そして1156年、鳥羽上皇を葬りました。
その後、上皇の皇后、美福門院が新御堂を建てて、その下に、子の近衛天皇の骨を納めたのですが、境内の安楽寿院陵がそれです。
その後、多宝塔が1606年に豊臣秀頼により再建されました。

2008年10月31日 (金)

安楽寿院④阿弥陀堂

Dscf0056 阿弥陀堂は台風で倒壊した本御塔に代わって建てられたもので、本尊の重文・阿弥陀如来が祀られています。
如来は賢円、長円など円派仏師の作と考えられ、鳥羽上皇の念持仏であったとか。

2008年10月30日 (木)

安楽寿院③法華堂

Dscf0049 境内には、写真のように法華堂が建てられています。
堂の右には、梅の木が植えられています。この梅ノ木は当時、僧侶たちが碁ばかりに熱中し修行を怠ったため、境内での碁を禁止して碁盤を埋め、その上に梅を植えたことから、碁盤の梅と言われているとか。
その前には庭が広がり、次回に紹介します阿弥陀堂、大師堂が並んでいます。

2008年10月29日 (水)

安楽寿院②山門

Dscf0045 写真のように侘びのある山門をくぐると、奥には書院・庫裡が有ります。
元々は前松院という塔頭寺院で1795年に建立されました。
鳥羽上皇の念持仏である藤原時代の作、重文・卍の阿弥陀を安置しています。
隣には鐘楼が有りますが、その梵鐘は1692年の鋳造とか。

2008年10月28日 (火)

安楽寿院①院政址石碑

Dscf0050 安楽寿院は、新義真言宗の智山派の寺で、1137年、覚行法親王を導師に鳥羽離宮を寺に改めたことに始まります。
それを遡ること半世紀、鳥羽離宮は1086年、白河上皇によって造営が始められた。さらに鳥羽上皇にわたり、多くの寺院が建てられ東西1.5キロ、南北1キロの広大な宮となりました。
その近くに鳥羽離宮当時の遺跡や白川天皇陵も残っていて、平安時代にタイムスリップした感じになり、歴史のロマンを駆り立てる場所でした。

2008年10月26日 (日)

光悦寺⑥鷹峰遠望

Dscf0033 光悦寺は、木々の緑や四季に咲く花を眺めることが出来て、いつまでも緑の中に身を置いて景色を眺めていたい気になります。
周りは鷹峰などが一望でき、借景した素晴らしい景観が広がります。
いつまでもこの世界に身を置いていたい気分になりました。

2008年10月25日 (土)

光悦寺⑤光悦垣

Dscf0028 光悦の竹垣は、緩やかな弧を画き、光悦垣と言われます。
さらに足を進めると、了寂軒、徳友庵、本阿彌庵などが並んでいて、たいそう趣きのある雰囲気を味わうことができます。
桟敷に座り、鷹峰や周りの風景が素晴らしい。
さらに散策して、光悦の墓標に手を合わせました。

2008年10月24日 (金)

光悦寺④大虚庵

Dscf0031 本堂から、茶室「三巴亭」を通り、さらに足を進めると、光悦が結んだ草庵「大虚庵」が有ります。
ここで古田織部や織田有楽斎、千宗旦らと茶道を極めたことに思いを寄せることが出来ます。
茶道ファンには最高のスポットです。

2008年10月23日 (木)

光悦寺③本堂

Dscf0037 参道を進むと、ほどなく本堂がひっそりと眼に映ります。
本堂と庫裡を結ぶ渡廊下をくぐると、爽やかな風、澄み切った空気、時折り、鳥の鳴き声が聞こえるのみで、まさに静寂の別世界に入った感じ。

2008年10月21日 (火)

光悦寺②参道

Dscf0038 山門を通り、参道をやや下る感じで歩く。
路の両側の苔が美しい。
静かな緑の佇まいの中を進むと、そこは光悦が創作したわび、さびの世界。
まるで江戸時代にタイムスリップしたように、別世界に入った感じがします。

2008年10月20日 (月)

光悦寺①山門

Dscf0026 光悦寺は日蓮宗のお寺で大虚山と号します。
始めは1615年、徳川家康に鷹峰三山を与えられた本阿彌光悦が一族、工匠と移り住み、一大芸術村を築きました。
光悦は刀剣鑑定、書、陶芸、絵画、蒔絵などに優れ、後世に光悦の美を残したのは有名です。
光悦は、この寺を「山二つ かたみに時雨 光悦寺」と詠んでいます。
光悦の没後、当時の本法寺の日慈上人を開山として寺に改めました。
写真のように侘びのある山門が迎えてくれます。

2008年10月19日 (日)

実相院③襖越しの風景

Dscf0023 ここの庭園が素晴らしい。
それぞれの部屋から襖や障子が額になって、趣きのある風景を目に出来ます。
特に緑葉や紅葉が本堂の床に映る光景は「床もみじ」と言われ、他では見られない絶景となっています。
さらに庭の石、苔、木々、花々が見事な調和を構成しています。
客殿の前は、白砂に石組みを配し、比叡山を借景した枯山水庭園で「一仏八僧の庭」と呼ばれ、また西側は地泉回遊式庭園となっていて、それぞれが最高の庭園美が楽しむことができます。

2008年10月18日 (土)

実相院②お車寄せ

Dscf0021 四脚門をくぐりお車寄せに。
中には江戸時代に書かれて実相院日記が展示されていたり、狩野永敬の「七仙人の図」の襖絵が。仙人たちが群遊する様子を描いたもので、実に伸びやかで素晴らしい雰囲気をかもし出しています。
また隣の間には平安中期の歌人の藤原朝忠の歌集、「桃源遺事」という水戸光圀の伝記、実相院の紅葉・雪・桜など四季折々の美しい風景を写した写真パネルが展示されています。
さらに次の使者の間には、狩野永敬による艶やかに伸びた枝に鳥がさえずり、花が咲く風景を描いた襖絵があり、本堂には、歴代天皇や入室した皇族の導碑が祀られています。
隣の滝の間には、狩野福信が描いた杉戸絵「松に鶴」などが納められていて豪華な雰囲気をかもし出しています。

2008年10月17日 (金)

実相院①山門

Dscf0020 実相院は、元は天台宗寺門派であったが今は単立寺院に。
本尊は鎌倉時代作と伝えられる不動明王立像です。
1229年、藤原兼基の子、静基僧正が紫野に開創しましたが、その後、今出川に移り、応永年間(1394~1427)に足利義満の子、義運門跡のときに現在の地に移りました。
1441年に宮門跡になって、今なお続いている由緒があります。
本堂(客殿)、御車寄、四脚門は東山天皇の中宮、承秋門院の宮殿を移築したもので王朝風の佇まいを見せ、寺宝も国宝・後陽成天皇の宸翰「仮名文字遣」(1冊)、後水尾天皇の宸翰、狩野元信・探幽の障壁画、百数十点の古文書など多数を有していて、魅力あるお寺です。

2008年10月16日 (木)

智積院⑤金堂

Dscf0008 石段を上がると正面に金堂(写真)があります。
朱塗りの重量感がある金堂にの中には大日如来が祀られていて、こうごうしい姿に思わず手を合わせずにはいれませんでした。
さらに本尊・不動明王を祀っている明王殿、大師堂、密厳堂などを見て回りましたが、さすがに真言宗のお寺だけに荘厳とした雰囲気が漂っています。
余談ですが、院の中の茶寮「ききょう」のこんにゃく御膳(1800円)は、ヘルシーで味も最高でした。

2008年10月15日 (水)

智積院④大書院・宸殿

Dscf0006 大書院から大玄関へは渡廊下を伝って枯山水庭園を鑑賞しながら、宸殿へ進みます。
使者の間で「布袋の図」などの襖絵、興教大師の姿を描いた掛け軸などを鑑賞することが出来ます。
次に宝物殿に入ると長谷川等伯、子の久蔵、一門による国宝の障壁画が並んでいmす。「松に秋草図」「松に黄蜀葵(とろろあおい)図」「雪松図」「松に立ち葵図「楓図」「桜図」。雄大な松、美しく咲く花、まるで生きているかのような鳥。世界に誇る絵画が一堂に並ぶ素晴らしさに、感動の波にのまれてしまいます。

2008年10月14日 (火)

智積院③庭園

Dscf0003 庭園は利休好みで中国の山河を模したもので、草木の刈り込みと桃山風の自然石の組み合わせは見事なもので、趣のあるたたずまいは素晴らしい。
また池が建物の下に入り込み。浮かぶように造られた宸殿造りの泉殿や釣殿を思わせます。
芸術的な庭園技術に感嘆するのみで、池と築山が調和して奥深さ・幽玄さが感じられる。
季節的に5月から6月のツツジ・サツキの身頃は、一段と艶やかさを添えます。

2008年10月13日 (月)

智積院②講堂

Dscf0002 松並木の参道から門をくぐり、石段を上ると講堂が有ります。
右に高浜虚子が参拝した時に詠んだ「ひらひらと つくもをぬひて落花かな」の句碑が建てられています。(つくもは池や沼に生える多年草で、かって院の池に生息していた)講堂は重厚な建築様式を今に伝えている感じ。
お堂の周り、特に北・東部は見事な名勝庭園が広がっています。

2008年10月12日 (日)

智積院①山門

Dscf0001 智積院は、真言宗智積派の全国300余りを数える総本山です。
高野山に弘法大師が入定したのが835年。それから300年余りの後、1140年に興教大師が和歌山県根来山に根本道場を開山しました。
後、学頭寺として歴史を刻んで来たが、1585年に豊臣秀吉の焼き討ちにあって、当時の学頭、玄宥僧正は難を京都に逃れました。
その後、徳川家康の帰依を受けて、1601年、豊国神社に再興。
さらに当時、東山随一と言われた祥雲禅寺領を拝して現在地に移転しました。
ここは庭園、国宝に指定されている長谷川等伯ら一族による障壁画が名高い。
また南画の祖と言われる王維の重文・龍図をはじめ、仏画・経典などの文化財を有しています。
さらに庭園も桃山時代の作庭と言われ、築山を苑池から見る鑑賞式林泉で京洛名園の一つです。

2008年10月11日 (土)

吉田神社⑥斎場所大元宮

Dscf0018 大山の中腹には、重文・斎場所大元宮が有ります。
代々この神社には吉田家が仕えてきましたが、吉田神道を大成させた吉田兼友倶が1484年に造営しました。
この宮は八角形で六角の後房を付けた得意な形式で、日本中の3132もの神々を祀っています。
有名な2月の節分祭は、室町時代から行われている伝統あるもので、毎年、厄除・家内安全を願う100万人の参拝客で賑わいます。
節分前日の疫神祭に始まり、夕方の追儺(鬼やらいとも言う)、当日の火炉祭などの伝統行事で構成しています。

2008年10月10日 (金)

吉田神社⑤山陰神社

Dscf0019 境内にある山陰神社には神社を創建した吉田山陰を祀っています。
山陰はわが国で食物に調理し味付けた始祖と伝えられ、お米・包丁の神と言われ多くの料理店関係の信仰を集めています。
5月8日の例祭には伝統古来の包丁奉納が執り行われることで有名です。

2008年10月 9日 (木)

吉田神社④若宮社

Dscf0012 神社の境内には、10以上の社が並んでいます。
大元宮の創始者を祀っているのが神龍社。吉田地域の産土神の今宮社、菅原道真を祀る天満宮社、商売繁盛の神である稲荷社などが並び、境内は神域と言われるに相応しい雰囲気が漂うところでした。
写真は、その一つで、水徳の神で初め、本社の第二と第三殿の間に建てられていたが、1363年に社殿を建て、1698年に現在の地に社が造営された若宮社です。。

2008年10月 7日 (火)

吉田神社③神鹿坐像

Dscf0013 本殿の前には、春日の神が白鹿に召して来られたとの事から神鹿坐像が有ります。
奈良(平城京)ならともかく、京都(平安京)に鹿の像とは。
遷都に関わる歴史を感じさせます。

2008年10月 6日 (月)

吉田神社②本殿

Dscf0015 吉田神社の本殿は春日造りと言われる独特の建築様式で、四棟あり、境内には舞殿、直会殿などがあります。
毎年、節分祭や4月18日の例祭には、倭舞という古式豊かな舞踊が披露されます。
伝統に満ちた神社にふさわしいと舞と言えます。

2008年10月 5日 (日)

吉田神社①鳥居

Dscf0010 吉田神社のある吉田山は古くから聖域と崇められていました。
平安京に遷都されて程無く、都の東北、表鬼門に位置する吉田山に、859年に中納言、藤原山陰が奈良・春日神社の四神を勧請して創建したとか。
以来、平安京の鎮守神として信仰されてきました。
毎年の節分祭は室町時代からの伝統行事で、例年、多くの人で賑わいます。

2008年10月 4日 (土)

壬生寺⑥狂言・大念仏堂

Dscf0006 本堂の北側には重文・大念仏堂があります。
壬生狂言堂とも言われ、この2階で壬生狂言が行われます。
今より約700年前に、この寺を再興した、円覚上人が解りやすい方法で仏の教えを説こうと、一般の能狂言と違い無言劇で布教されたのが始まりという。
現在、国の重要無形民俗文化財の指定を受けています。
中は能舞台の橋掛かりの他、飛び込み・獣台の得意な形態を持っていますが、
なお春の4月21日~29日、秋の10月の3連休のみの公開となります。

2008年10月 3日 (金)

壬生寺⑤近藤勇の胸像

Dscf0008 お堂の境内には、新撰組の歌碑、近藤勇の胸像、芹沢鴨ら隊士の墓があります。
中でも近藤勇の胸から上の像は、迫力十分です。
さすが新撰組ゆかりのお寺ならでは。
また、お堂の中には阿弥陀三尊が祀られ、地下の資料室の中には平安時代の作と言われる葉薬師如来像、近藤勇・土方歳三の写真が展示されています。

2008年10月 2日 (木)

壬生寺④本堂

Dscf0009 正面には本堂が構えるように建てられています。
さすが律宗に属する、991年に三井寺の快賢僧都が創建したお寺だけに、本堂は重厚な建物です。
うやうやしく手を合わせずにはおれませんでした。

2008年10月 1日 (水)

壬生寺③三界万霊碑

Dscf0004 本堂の外には、1649年の作である水掛不動があります。
像に水を掛けて一つ願うと叶うという信仰があるとか。
その奥には三界万霊碑が建てられています。
衆生が生まれ死ぬという輪廻をする、この三つの世界(欲・色・無色界)にいる、全ての精霊を供養します。
8月のお盆には塔婆を建てて先祖への供養をします。

2008年9月30日 (火)

壬生寺②一夜天神堂

Dscf0007 表門の右に一夜天神堂が有ります。
菅原道真が筑紫に流される前に、この地の親戚を尋ね、一夜を明かしたと言う。
隣には夜泣地蔵が建てられて、さらに阿弥陀堂へと続きます。
この堂は、鎌倉時代に平宗平の発願により創建されたとか。
本尊は阿弥陀如来で、焼失の後、江戸時代に前川五郎左衛門の尽力で再建されました。

2008年9月29日 (月)

壬生寺①表門

Dscf0006 壬生寺は律宗に属し、本尊は地蔵菩薩立像です。
寺伝によれば、991年に三井寺の快賢僧都が創建しました。
古くは名を地蔵院、宝憧三味寺などと呼ばれていましたが、1213年には、現在地に伽藍を建立していたと伝わります。
その後、1300年に円覚上人によって壬生狂言が創始されました。
江戸時代には、新撰組の大砲・剣術・馬術などの訓練場所になっていました。
地下の資料室には、平安時代の仏像や新撰組ゆかりの資料が展示されています。

2008年9月28日 (日)

大石神社

Dscf0287 前回までご紹介した岩屋寺の北隣には、大石神社が建立されています。
境内には大石桜と名付けた桜が植栽され、春には境内は桜色に染めて、忠臣蔵の忠士を弔います。

2008年9月27日 (土)

岩屋寺④毘沙門堂

Dscf0285 本堂の左には毘沙門堂が建てられています。
ここには赤穂四十七士の位牌木像が祀られています。
主君のあだ討ちを果たした心中、それに至る苦労などは、今は思い測るすべも無いですが・・・。
寺の雰囲気が何となく、もの悲しさを感じるのは何故だろうかと考えます。

2008年9月26日 (金)

岩屋寺③内蔵助遺髪塚・宅址

Dscf0281 本堂に上る石段の近くの境内には、大石良雄遺髪塚、その塚の隣に、居宅址があり、往時を偲ばせます。

2008年9月25日 (木)

岩屋寺②本堂

Dscf0284 山門をくぐると正面に本堂があります。
本尊と浅野内匠頭の位牌や大石良雄の羽織・茶道具などの遺品が安置されています。
亡き浅野内匠頭の位牌は「人情松の廊下」の人情無念を偲ばせ、また見事に主君のあだ討ちを果たした忠臣蔵の世界が漂っています。

2008年9月24日 (水)

岩屋寺①山門

Dscf0283 岩屋寺の創建は平安時代で、山科神社の神宮寺であったとか。
その後、長い年月の間、興亡を繰り返しましたが、江戸時代に赤穂浪士 大石内蔵助の住いでありました。
現在は、曹洞宗永平寺派の末寺で、本尊・不動明王は智証大師の作と伝えられ、忠臣蔵で名高い大石内蔵助(良雄)の念持仏であったと言う。
赤穂城明け渡しの後、ここに3年間住み、事なってからは、全てを岩屋寺に寄進しました。
その後、衰えましたが、嘉永年間(1848~1854)に堅譲尼が再興しました。
12月14日の義士忌にはゆかりの品々を公開して供養が行われます。

2008年9月23日 (火)

伏見稲荷大社⑥神楽殿

Dscf0278 さらに石段を上ると、写真の神楽殿から奥社に入ります。
ここから奥社参拝所まで徒歩5分。一の峰(山頂)まで約1.5kmで徒歩30分。
稲荷山御神蹟を巡行する、お山巡りでは約4km、2時間余りで数十の社をお参りすることになります。
古くから京都の人々の信仰を集めてきており、いつもお参りする人が絶えません。

2008年9月22日 (月)

伏見稲荷大社⑤重文・お茶屋

Dscf0275 前回紹介しました東丸神社の右には重文・お茶屋があります。
仙洞御所から移築されたもので、御所の名残りを今に伝える御茶屋と歯、どのような建物か、ぜひとも鑑賞したかったのですが、非公開だったのは残念でした。
しかし、門から見得る概観だけでも宮廷の雰囲気が味わえます。

2008年9月21日 (日)

伏見稲荷大社④東丸神社

Dscf0271 外拝殿の右に東丸神社があります。
この社は勉学向上・受験合格のご利益があることで有名です。
代々、正官御殿職を務めた荷田氏が祀られていて、毎年12月13日には祭が執り行われます。

2008年9月20日 (土)

伏見稲荷大社③本殿

Dscf0276 大社の本殿は重要文化財に指定されています。
仙洞御所から移築され、1494年に建てられたもので、稲荷造りと言われ室町時代の様式を今に伝えています。。
本殿は桧皮葺で、内拝殿を持っています。
また、本殿から裏の中鳥居を抜けると長者社、玉山稲荷社などの末社が建てられています。

2008年9月19日 (金)

伏見稲荷大社②外拝殿

Dscf0270 門をくぐると写真の外拝殿があります。
この殿も重壮かつ荘厳な建物です。
さすが全国4万の代表格の風格を備えています。

2008年9月18日 (木)

伏見稲荷大社①楼門

Dscf0269 伏見稲荷大社は、言い伝えによると、稲荷明神(穀物神)が降臨したのが711年2月の初午の日。そのお使いが土の化身の狐とか。
全国4万とも言われるお稲荷さんの総本社です。
大鳥居から石段を上ると、写真の朱の楼門に。
朱塗りは丹塗りとも言いますが、古来より魔物を撃退させる色でもあります。また五穀豊穣の色でもあります。
そのせいか重層かつ雅かな感じ。これは1589年、豊臣秀吉の寄進と伝わります。
また、ここ稲荷山の神木から、弘法大師(時の空海)は東寺の塔を造ったと伝わっています。

2008年9月17日 (水)

御香宮神社④御香水の碑

Dscf0266 本殿の横には、遠いいにしえを偲ぶかのように、御香水の碑が建てられています。この神社の名の由来になったもので、名水百選に選ばれています。
また周りには東照宮、松尾社などの社が多く並んでいます。

2008年9月16日 (火)

御香宮神社③伏見義民跡碑

Dscf0262 表門のすぐ左には伏見義民事跡碑が建てられています。
1785年、時の奉行・小堀政方の悪政を幕府に直訴し、伏見町民の苦難を救い、自らは最後を遂げた文殊九助ら七人の伏見義民の功績を讃えた碑が建立されています。あまり有名ではありませんが、彼らの勇気には感心するのみです。
参道の右には、桃山天満宮などのお社が並んでいます。

2008年9月15日 (月)

御香宮神社②本・拝殿

Dscf0267 拝殿は1625年、徳川頼信が寄進したものと伝わります。
本殿は重文に指定されています。
1605年に建立されたもので、神宮皇后を祀っていて、安産の神様として信仰を集めています。
殿の上部には鮮やかな色彩で彩られ、寺宝として備前長光の太刀(重文)、千姫姫寄進の神輿など多数を有します。

2008年9月14日 (日)

御香宮神社①表門

Dscf0261 御香宮神社は、はじめは御諸神社と言われていました。
社伝によると、862年に境内に清水が湧き出して香気が漂い、その水を飲むと疫が癒えたことで清和天皇から御香宮の名を賜ったとか。
ご祭神は、安産・子育ての神である神功皇后、仲哀天皇、応神天皇ら9柱を祀っています。
一時期、兵乱や天災のより荒廃しましたが、関白秀吉により守護神として伏見城内に当社を再興し、さらに徳川家康がこの地に戻し、現存の本殿や表門を建立しました。
以後、伏見の産土神として信仰されてきたこともあって、開運・厄除、出生した初参りなどお参りする人が絶えません。
江戸時代に タイムスリップしたような白壁の塀から門をくぐります。
写真の瓦葺きの門は重文で伏見城の大手門と伝えられます。

2008年9月13日 (土)

円通寺⑤借景の庭園

Dscf0236 本堂の前には国の史跡に指定されている見事な庭園が広がります。
静寂の中で雅の世界を思わせます。
軒が下がり床が高く作られ、建物と庭園が一体化。遠景の比叡山の眺望を生かすために周囲の木を伐採し、中央の杉の木の数本の枝下を残し、それが無限の広がりを見せています。
また生垣の左右の高さを変えて、遠近法の手法を見せるように工夫されていて、苔の中に配した40余りの大小の石、生垣、比叡山が一帯となった風景は、正に借景庭園の極致と言えると思います。
芸術ですね。

2008年9月11日 (木)

円通寺④潮音堂

Dscf0238 興奮冷めぬまま、潮音堂に入りました。
この堂には、不空絹索観世音菩薩が祀られています。
この菩薩は隠元禅師が中国から持ち帰ったとか。
ここで、日本の芸術の最高作品を見る事が出来た充実感に浸ることがでします。
是非、訪れることをお勧めします。

2008年9月10日 (水)

円通寺③虚子の句碑

Dscf0239 俳諧の巨匠、虚子はこの寺を訪れ「柿落ち葉 踏みてたずねぬ 円通寺」と詠んだ句碑が建てられています。
多くの寺には句碑が残されていますが、ここ禅宗の寺と俳句。まさに最高の舞台でしょうね。

2008年9月 9日 (火)

円通寺②盤陀石

Dscf0231 山門をくぐると、苔が美しい庭が広がり、まさにわび・さびの雰囲気が漂っています。
庭の右には銘石、盤陀石が置かれていて禅の世界に包まれます。

2008年9月 8日 (月)

円通寺①山門

Dscf0230 円通寺は、臨済宗妙心寺派に属するお寺です。
臨済宗(禅宗)のお寺だけに、清涼の気に包まれた、荘厳な雰囲気でした。
1638年、後水尾天皇の幡枝離宮の地を霊元天皇の乳母、圓光院文英尼公が堂宇を建立したことに始まります。
後の1678年に、妙心寺の景川宗隆が勧請開山しました。
庭園は離宮当時を残存し、枯山水庭園として国の名勝に指定されていて、高尚な雰囲気に包まれていますよ。

2008年9月 7日 (日)

大原野神社

Dscf0194 大原野神社は、桓武天皇が平城京から一時、長岡京に遷都した時、皇后である藤原乙牟漏(おとむろ)が藤原氏の氏神であった春日大社の氏神を勧請したと伝わります。
その後、摂関家として権力を握った藤原家の隆盛と共に栄えました。
境内はカエデ、ツツジの刈り込みが見られ、奈良の猿沢の池を模した鯉沢池には、6月から8月にかけてスイレンが美しい花を咲かせます。

2008年9月 6日 (土)

妙満寺④安珍・清姫の鐘

Dscf0225 宝物殿に入ると、紀州・道成寺の安珍・清姫の伝説で有名な鐘が展示されていまする。
この鐘は1359年に再鋳造されたが、近くに災厄が続いたので埋められたものを、秀吉の武将、仙石秀久が持ち返り、1588年、妙満寺に納めたとか。
この他、法華経の曼荼羅曼荼、熊本城主、加藤清正や松永貞徳の肖像画、道成寺絵巻(二巻)などが展示されています。

2008年9月 5日 (金)

妙満寺③雪の庭

Dscf0223 次に本坊に進むと、前には見事な庭園が広がっています。
この庭は、清水寺成就院の月の庭、北野寺(今は廃寺)の花の庭と並び、雪月花の庭として知られています。
庭は芭蕉の師と言われる松永貞徳が作ったものです。
石組の枯山水庭園で、比叡山を完全に風景の中に取り込むように借景していて、素晴らしい景観を創り上げています。
その素晴らしさは、是非鑑賞されて体験してください。

2008年9月 4日 (木)

妙満寺②本堂

Dscf0228 山門から石段を上ると本堂に。重厚な建物という印象を受けました。
本堂の右には大玄関と社務所があり、大玄関には、時の天皇・皇族などが出入りしたことだろうとロマンの世界に入り込んでしまいます。
いよいよ社務所から本堂に。荘厳な雰囲気に包まれて気が引き締まる。
上人のお顔を拝見し、必死に願う気持ちになってしまいます。

2008年9月 3日 (水)

妙満寺①山門

Dscf0221 妙満寺は法華宗のお寺で、創建は、室町時代、1389年に日什大正師によります。
当初は室町六条だったが、その後、豊臣秀吉により寺町二条に移り、さらに昭和43年に現在地に移転しました。
左右の池を見ながら朱塗りの小橋を渡り、写真の山門をくぐります。
白砂を敷き詰めた参道の左は大慈院などの塔頭寺院が並んでいます。

2008年9月 2日 (火)

金蔵寺④山上からの絶景

Dscf0214 しばらく足を進めると、見晴らし台に着きます。
ココから、実に雄大な景色を眼下に広がります。
京都タワーや市内が一望できて、まさに絶景。是非機会があればお出かけください。お薦めします。
その余韻にひたりながら鐘楼に立ち寄ると、手を合わせて打鐘することができます。
山々に響き、澄んだ音色に心が洗われる思いを体験できます。来て良かったとの思いを抱きながら、寺を後にしました

2008年9月 1日 (月)

金蔵寺③開山堂

Dscf0216 本堂の奥には開山堂があります。
ここには隆豊禅師や歴代の祖師が祀られています。
総ヒノキ造りで素晴らしい建築様式に目を見張ります。
また本堂の上には愛宕大権現が祀られ、この権現は勝運の神で、多くの武将が戦の前に訪れ戦勝を祈願したと伝えられます。

2008年8月31日 (日)

金蔵寺②本堂

Dscf0217 仁王門さらに右に建つ護摩堂を過ぎ、40段ほどの石段を上ると正面に本堂があります。
重厚な造りに威風堂々をしています。
本尊は十一面千手千眼観音菩薩、高さ2mで一木彫り。
クスノキの霊木を開山禅師と山主、向日明神とが、天狗の爪で彫ったもので、養老2年の作と伝えられます。
本堂の左に葉山神社と桂昌院廟が。再興に力を尽くした院に感謝の手を合わせました。

2008年8月30日 (土)

金蔵寺①仁王門

Dscf0207 金蔵寺(こんぞうじ)は、天台宗のお寺です。
初めは718年に女帝・天正天皇の勅により、隆豊禅師が開創。桓武天皇は平安遷都に際して、新しい都の四方に王城鎮護のために経典を埋めた一つとして、西岩倉山と号しました。
今昔物語にも書かれている古刹で、一時は子院が49院を有するほどに隆盛しましたが、応仁の乱により焼失しました。
その後、徳川綱吉の母、桂昌院により1687~1705の間に再建されました。
最寄のバス停から小塩山の中腹(350m)まで登ってくると、緑一色。鳥がさえずり、風に木々の葉が揺れると、爽やかな雰囲気に包まれます。
ここは大都市近郊には数少ないモミ、下層が豊富な落葉広葉樹林という貴重な自然が現存して、季節にはシャガ、ムクゲ、カエデ、椿が美しく咲き誇ります。
周辺に大原野神社、正法寺、勝持寺などがあり、さらに東海自然歩道なども整備され西山巡りの里として親しまれています。
但し、最寄のバス停(南春日町)から徒歩で約1時間を擁するので留意されること。
その中を朱塗りの仁王門をくぐりました。

2008年8月28日 (木)

正法寺⑤清水不動尊

Dscf0203 鳥獣庭園の前には清水不動尊が祀られています。
御真言を三度唱えて水を掛けて左の不動堂に。
大日如来のお使いとして、悪魔降伏の任務を担って、この世に現れたと言われる不動明王をお祀りしています。
ここはあまり知られていませんが、仏像もさることながら、四季の花も美しく、雄